官僚人事と陸海軍の不仲が…

玉砕を遂げたものの、ペリリュー島、硫黄島の戦いは米軍も認める精強ぶり。
「勇猛な日本兵のゲリラ戦闘を恐れて、精神に異常をきたし戦線離脱する米兵が続出したと聞きます。それくらい日本陸軍は強かったわけです。ただ、戦争末期は補給路が途絶え、文字通り刀折れ矢が尽きた状態で戦わざるをえなかった。日本陸軍に十分な食料と米軍と同等、いや半分の装備でもあれば負けなかったでしょうね」(前出の鈴木氏)

もちろん、海軍も雷撃、砲撃の精度では米軍を凌駕していたという。戦闘機や攻撃機の搭乗員の技量も同様だ。現場は陸海空とも優秀――されど米軍に決定的に後れを取っていたのは、軍幹部の人事だった。
「ひと言で言えば、当時の軍の人事は官僚制の典型です。海軍ではハンモックナンバーと呼ばれていましたが、陸大、海大の卒業時の成績で軍内の序列が機械的に決定されていたんです」(同)

官僚制の弊害は、現代を生きる我々も痛感しているはずだ。
「結果、戦闘指揮官としての適性は考慮されず、水雷(魚雷戦闘)畑だった南雲忠一に空母機動部隊を指揮させたり、まっとうな戦略を主張する石原莞爾のような"異才"がパージされたりしたわけです。東條英機と石原の犬猿の仲は有名でしたからね」(同)

対して米軍では、試験の出来不出来にかかわらず才能のある将校を要職につける人事が断行されていた。
「真珠湾攻撃、ミッドウェーで司令官に的確な進言をして散った"猛将"山口多聞、二・二六事件への関与が疑われ出世コースを外れた"マレーの虎"山下奉文。そして、"自分が指揮を執っていれば米軍には負けなかった"と言ってのけた石原莞爾……実は日本軍は人材の宝庫だったのに残念ですね」(黒鉦氏)

加えて陸海軍の不仲も、大きく戦力をそいだ。
「陸海軍が"別々の戦争"を戦っているかの如きでした。これは戦闘機開発ひとつとっても顕著です。海軍は傑作戦闘機『零戦』を開発しました。一方の陸軍の主力は一式戦闘機『隼』。隼は主武装が12.7ミリ機銃と貧弱で、戦争中盤以降、苦戦が目立つようになりました。零戦の武装は20ミリ機関砲と威力絶大でしたから、陸軍が面子を捨てて零戦を採用していれば、練度の高い搭乗員を失わずに済んだはずです。そもそも、戦争のような莫大な予算のかかる国家プロジェクトでは、陸海軍が新装備を共同開発するなどの合理化が図られなくてはいけないはずです」(同)

同じことは海軍にも言えて、本土防空戦で活躍した海軍の局地戦闘機「紫電改」は、陸軍の四式戦闘機「疾風」を採用していたほうが合理的だったという。
「究極的には"決戦兵器"となった原爆です。原爆開発も日本では陸海軍がバラバラで行っていたんです」(鈴木氏)

論議を呼んでいる安保関連法が成立すれば、有事に赴くのは現場自衛隊員だ。
士気も練度も高い彼らを、"犬死に"させることだけは避けなければならない――。

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