思い込みをまず捨ててみませんか?

たけしが「面倒見のいい番長タイプ」の代表格だとするなら、トップに立つヤンキーにはもうひとつの人種がある。いわゆる2番手、腕っぷしはないがとにかくアタマの切れる参謀タイプ。京都のツッパリからヤンキー漫才でデビューし、抜群のトークセンスで日本一の司会者になった島田紳助を思い浮かべてもらえればわかりやすいかもしれない。そして紳助の推薦を受け、政界ヘと進出したこの男もやはり、「地アタマのいいヤンキー」の代表格である。

「毎日、毎日、僕はみんなになにかしら因縁をつけられていました。僕が選んだのは、強いものについていく方法でした。そのときの僕は、彼らにとってたしかにパシリだったと思います。力関係を利用するなんて卑怯なやりかただ、なんて思い込みをまず捨ててみませんか 。力関係を拒否したり、目をそむけたりしないで、そのヒエラルキーのなかに組み込まれる」
先日、政界引退を表明した大阪市長・橋下徹の著書「どうして君は友だちがいないのか?」のなかでの言葉である。

「小中学校ともに荒れた学校だった」という東淀川時代のエピソードは、現在の橋下を語る上で欠かせない。 転校初日からいきなり同級生に殴られ、「一番ワルそうな部に入ったほうが安全だと思ったから」とラグビー部に入った橋下は、ただのパシリでは終わらなかった。他のヤンキーにはないアタマの回転があった橋下は、言葉では自分をうまく表現できないヤンキーたちの「代弁者」として次第に存在感を増していく。彼らの怒りや悩みを聞き、時には学校側との交渉の先頭に立つ。のちに弁護士・政治家となる才能はこの時点で開花していたのだ。
塾に通わず大学進学し、弁護士となった後は「茶髪の弁護士」としてタレント活動、そして政界へ。

その後の活躍は知っての通りである。するどい舌鋒で利権でかたまった大阪行政やワイドショーの論客を斬って斬って斬りまくり、不満のたまった庶民の溜飲をさげる。だが「慰安婦問題」などでの発言は同時に国際的な批判もまねき、先日の引退をかけた「大阪都構想」の住民投票では、過半数を取ることはできなかった。

「こんな僕が7年半も政治家をつとまったのは松井知事がいたおかげ。僕は人望がないから」
先日の引退会見で自嘲ぎみに言ったこのセリフは、半分はホンネでもあるだろう。橋下には「男気」タイプのビートたけしがそなえているような、人の血の通った包容力が足りていない。橋下劇場は、諸刃の剣のような鋭すぎる舌鋒によってつまづき、大阪都構想の頓挫でひとまず幕を下ろした。

だが「引退会見」でマスコミを前に晴れ晴れした笑顔を振りまいてまるで「勇退会見」のように見せ、現職中にもかかわらず待望論を呼びよせてみせた。まだまだ天才ヤンキーの機転と地アタマは錆び付いていないと言うべきだろう。

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