新日本では反選手会同盟から発展した平成維震軍の一員として活躍したカブキ。(木村健悟を除く)メンバー全員がスキンヘッドにするなど、一致団結した武骨な集団として、新日本プロレスの軍団史に確かな足跡を残した。

――平成維震軍の中ではカブキさんが一番年上でしたが。

永島 カブキさんが裏ボスだったでしょ? 

カブキ いやいや(笑)。

永島 大将の越中(詩郎)も、カブキさんには全日本の時から頭が上がらないから。

カブキ 彼はマジメで黙々とやるタイプ。新日本に行ってよかったと思う。俺と(小林)邦昭の血液型がA型で、それ以外はみんなB型だからマイペース。ミーティングの時も、話がまとまらないから邦昭と別の場所でコーヒー飲んで待ってるの。それで、頃合いを見計らって参加して話をまとめてた。ある時なんか、越中が「木村さんの奥さんが出馬するんだから、演説の応援にいきましょう」って言って、みんな「オー!」なんて盛り上がったんだよ。だけど、当日ちゃんと行ったのはA型の2人だけ(笑)。

永島 いまもがんばってるよね、(木村)洋子夫人。いい人ですよ。

――本隊とは別に、平成維震軍による自主興行もありました。当時は「2リーグ構想」があったそうですね?

永島 新日本の活性化のためにやったんだけど、批判が多かったね。成果もなかった。猪木もガンガン怒るし(笑)、興行的に成功しなかったから終わっちゃったんだけど……。

カブキ 巡業は楽しかったけどね。個人的には平成維震軍の頃というのは、気を遣わなくて一番楽しかった時代ですよ。

――そして95年に新日本を退団しましたが、その経緯は?

永島 単純にビジネスだよ。

カブキ いずれは終わるだろうと思ってたし、アメリカでは常に自分で次のテリトリーを探さなきゃいけなかったから、まったく苦じゃなかったね。

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