モテる強力なツール……ヤンキーに大人気だった音楽

ヤンキー文化を語る上で、異性にモテることが大切……と話したが、そのツールとして強力な武器となったのが音楽である。バンドを組んでいる男が女うけするのは、いまも昔も同じであるが、ヤンキーとてその法則は熟知している。

勉強には微塵も興味を示さない彼らも、楽器には下心があったのか、我先にと飛びついた。そのヤンキーたちに人気を博した、あるいは影響を与えたミュージシャンと言えば、まずはキャロルであり、そのボーカルであった永ちゃんこと矢沢永吉であろう。しかし、1972年にデビューしたキャロルは、ヤンキーというスタイルが定着するやや以前のこともあり、彼らのファッションや音楽性が直接、ヤンキー文化に影響を与えるまでには至らなかった。

むしろ、同時代ではあるが、1975年デビューのクールス(館ひろし、岩城滉一らが所属)のほうが、ヤンキーにとっては、より親しみやすい存在ではあった。キャロルに比べれば、ややマイナー感があるクールスではあるが、現在、40代後半から50代の元ヤンたちにしてみれば、クールスの"不良性"がより強く琴線に触れたハズだ。その証拠、というわけではないが、永ちゃんのファン層というのは、実は元ヤンより、普通の人々、あるいはヤンキー(不良)に憧れていた人々のほうが多いように見受けられる。

やはり、70年代後半からのヤンキーに、もっとも影響を与えた存在はクールスであった……といいたい。当時、その他のバンドでヤンキー人気が高かったのは、シーナ&ロケッツやプラスチックスなどだが、特にテクノポップ系で立花ハジメや佐久間正英らがメンバーだったプラスチックス人気は、ヤンキーが実は流行に高感度であるという事実をあらわしていて興味深い。

一方で、ヤンキーに影響、あるいは触発された形で結果的にヤンキー文化の一翼を担った形となるのが、1980年にデビューした「横浜銀蝿」であろう。サングラスにライダージャケット、そして白いドカンという彼らのスタイルは、実際のヤンキーとはかけ離れたものであったが、イメージとしてのわかりやすいヤンキーは一般的には大受けで、彼らを一躍スターダムにのし上げる。もちろん、銀蝿が持つ音楽性の高さが、人気の大きな要因であったことも確かだ。

この戯画化されたヤンキースタイルがヤンキー自身に影響するということはなかったが、銀蝿の人気を利用したヤンキーたちは少なくなかった。例えば、「横浜銀蝿」というステッカーを無断製作して、それを一般人に売り抜くという事件が日本全国で横行したことなどがその一例だ。まだ、著作権管理が厳しくなかったとはいえ、犯罪スレスレ(販売を強要すれば犯罪であるが)のシノギのダシにされてしまったことは、横浜銀蝿にとっては迷惑な話ではあろう。もっとも、銀蝿がヤンキーをダシに使った側面もなきにしもあらずで、ヤンキー側からすれば、ある意味、当然のお裾分けと思っていたのかもしれない。

ファッションから始まって、漫画、グッズ、そして音楽と駆け足で紹介してきたが、まだまだ車、バイク、髪型などなど、ヤンキー文化を語ったら尽きることはない。機会があれば、総括的ヤンキーカルチャーをじっくりと分析してみたいものである。

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