チャクリキ代表 甘井もとゆきのファイティングスポーツはサイコー!
第4回「誰よりも男前なハートを持つ男、ノブ ハヤシ」




ピーター・アーツ、ジェロム・レ・バンナ、とチャクリキの先輩たちを書きましたので、次はいよいよチャクリキ・ジャパンの館長でありエース選手であるノブ ハヤシ選手について書きたいと思います。何といってもチャクリキ・ジャパンは彼から始まったのですから。

このコラムのタイトルにもなっている「ファイティングスポーツ」という言葉はノブ ハヤシ選手やトム・ハーリック会長が良く使う言葉で、キックやMMAなどの総合格闘技すべてを指す言葉です。私はこの言葉を気に入っております。

格闘技の世界は基本的に英語が標準語であり、皆カタコトの英語を使いコミュニケーションを取ります。まったくもって英語を拒否するのは中国人選手位でしょう。それでも近年多くの外国人選手が中国に遠征していますから、中国も変わってゆくでしょうね。

ファイティングスポーツという言葉は「リングゼネラルシップ」の大切さを表現していると勝手に思っています。相手の選手と殴り合い、蹴り合う競技だからこそ、スポーツマンシップは何よりも重要だと思います。そうしたスポーツマンシップに則って試合が行われるからこそ、人種や国籍を超えた感動が生まれるのです。オランダで修行を積みプロデビューを果たしたノブ ハヤシ選手だからファイティングスポーツという横文字も嫌み無く馴染みます。
ノブ ハヤシ選手はあの初代K-1王者ブランコ・シカティックにも、K-1の絶対王者ピーター・アーツにも発給していないドージョーチャクリキの支部を設立出来るライセンス、いわば武術の世界での「免許皆伝」をトム・ハーリック会長より受けております。

トム会長はよくチャクリキは一つの大きなファミリーだと言いますが、その中でもノブ ハヤシの存在感は違います。トム先生にとってノブ ハヤシは息子のような存在なのです。「ノブ イズ マイ サン」という言葉を私は何度も何度もトム先生から聞きました。トム先生とノブ選手の信頼関係がいかに強固かを物語るエピソードでしょう。

しかし、そんなノブ選手も初めてオランダに行った時はトム先生に別の衝撃を与えたようです。ノブ ハヤシ選手のK-1デビューを憶えている方なら、今よりもずっとノブ選手が大きく太っていた事をご存知でしょう。
日本から「練習したい」と言ってやって来た若いファイターを空港に迎えにいったトム・ハーリック会長は、初めてノブを見た瞬間、180度回れ右して引き返したくなったそうです。当時の事をトム先生は笑い話としてよく話してくれます。

「アマイ、俺は日本からスモーレスラー(力士)が来たのかと思ったよ」かなり太っていたんでしょうね、ノブ。

しかし、日本から来た巨漢の青年は見た目の印象と全く違う実力を道場で発揮し、多くのヘビー級練習生の中からたちまちに頭角を顕し、アマチュアデビュー、プロデビューとトントン拍子に出世していきました。何よりも素直にトム会長の指導を聞く姿が素晴らしく、他人の何倍も練習したと、トム先生は当時を述懐します。
そしてそのまま1999年のK-1 JAPANのリングで日本デビュー。当時の16人メガトーナメントを3連勝で勝ち進み、デビュー戦にして武蔵選手とK-1 JAPAN 王座を争いました。こんな破天荒なデビュー戦を行った選手を私はノブ ハヤシ以外に知りません。

ノブ ハヤシ選手との思い出を語るなら、白血病との闘病生活は外せません。
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