この瞬間、実質的に高橋由伸が、ポスト原の最有力候補となった、と関係者は証言する。「もちろん、そのときは原巨人が優勝する可能性も残されていたので、原続投は十分にありえました。由伸が新監督に就任するとしても、今すぐではない、というニュアンスだったんです」(前出の関係者)

 ところが、巨人はV逸。責任を感じた原前監督が自ら身を引く選択をしたことで、事態は急展開する。「昨年10月20日、堤GMが由伸を都内某所に呼び出して、次期監督就任を要請するんです」(前同) 由伸監督に近い筋の証言によれば、それは「要請」あるいは「打診」などという雰囲気ではなく、「有無を言わせぬ」ものだったという。「君も知っての通り、事態は切迫している。ぜひ(監督就任要請を)、受けてほしい。返事は3日待つ」 由伸本人は、まだ現役を続ける腹づもりだったのに、急に“お鉢”が回ってきたのだ。突然の事態に驚き、悩みに悩んだ末、約束の期日である23日に、この申し出を受諾。本格的に由伸巨人がスタートすることとなった。「とはいえ、由伸新監督にチーム構想を練る時間などあるはずがない。コーチングスタッフは井端を除いて、フロント主導の年上コーチばかり。高橋監督もやりにくいと思いますよ」(巨人軍担当記者)

 そこで由伸監督は、同世代の松井氏への協力を仰いだということなのだろう。松井氏の側には、「現役を続けたかった由伸に、自らのわがままでバットを置かせてしまった」という忸怩たる思いがある。キャンプで臨時コーチとして動き回るのも「せめてもの罪滅ぼし」という意識があるのかもしれない。しかし、理由はどうあれ、松井氏が巨人軍のグラウンドに戻ってきたことに変わりはない。なにしろ、一部では、「松井は、もう巨人のユニフォームを着る気がないのではないか」という憶測も流れていたのだ。

「“俺の最後の仕事は松井を巨人軍の監督に据えることだ”と公言する長嶋茂雄終身名誉監督は、松井と会食するたびに、“早く日本に帰って来い”と、巨人軍の監督就任を説得し続けていました。ただ、松井のほうは“私に監督が務まるでしょうか”と、消極的な態度を取り続けていたんです」(事情通) のらりくらりと結論を避けてきたように見える松井氏だが、由伸新監督体制での臨時コーチ就任で、少なくとも巨人軍との関係に後ろ向きではないことだけは証明された。

 そして、渡邉恒雄読売新聞グループ本社会長と松井氏との“関係性の変化”も注目すべき点だ。「実は、球界では、松井は渡邉会長が絶対的な権力を握る読売グループそのものに嫌気がさし、巨人軍と距離を置こうとしている、という噂が流れたことがあります」(前出のデスク) そして、一方では、「ナベツネさんの側も、自らに逆らってジャイアンツを去り、メジャー行きを選んだ松井を快く思っていない、という憶測も流れました」(前同)

 だが、渡邉会長の心境は、松井氏がヤンキースを退団した頃から、大きく変わっているのだという。松井氏が巨人に必要な人材であることを再認識した渡邉会長は、彼が帰国するたびに必ずコンタクトを取り、「巨人はいつでも待っている」と思いを伝え続けているというのだ。

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