「松井が長嶋終身名誉監督とともに国民栄誉賞を受賞したとき、ナベツネさんは松井の両親を東京ドームに招待しています。そして、同席した貴賓室で“ご子息を(日本に帰るように)説得してください”と伝えているんです」(前出の事情通)

 一部では、そういった渡邉会長の動きそのものが、松井氏を頑なにしているともいわれるが、そこまで必要とされている事実を、彼自身はどう受け止めているのだろうか。「松井をよく知る人々は、彼が“いつかは、巨人軍監督にならねばならない”と覚悟していることを分かっています。実は、松井は、ある人物からの“なぜ、監督就任を受諾しないんだ?”という問いかけに、“僕には僕のタイミングがありますから”と答えているんです。これは、“巨人の監督になる気はあるが、今はまだ、そのときではない”という松井なりの意思表示ということなんでしょう」(前同)

 前出の黒江氏は、原監督が退任した15年オフこそが松井監督実現の最適のタイミングだったのではないかと指摘しつつ、次のように言う。「今回の臨時コーチの仕事で、コーチの適性があることを証明して、すぐにでも正式なコーチに就任すればいいんです。そうすれば、次のタイミングで当然、監督の話が出てくるはずです」 由伸監督が、巨人軍との間に交わしたのは「3年契約」。それゆえに、松井監督の実現は、早くても19年シーズン以降ということになるが、「球界は、何が起こるか分かりません。万が一、由伸監督がうまくいかなかった場合、3年経たないうちに、松井の出番がやってくるかもしれません」(前同)

 今、宮崎キャンプで松井氏の打撃論を熱心に聞いている「教え子たち」が、近い将来、「松井巨人」の主力となっている可能性は大いにある。それは読売巨人軍と巨人ファンのみならず、野球ファンの願いとも言えるだろう。松井秀喜が決断する「タイミング」。そのときは刻々と迫っている――。

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