後に栗山監督はメディアの取材に対して、「野村さんとの時間は僕にとっては宝物なんです。あの経験があるから今、選手たちに対して、きちんと向き合うことができるんだと思います」などと答えて、表面上は野村氏を立てているように見えるが、本音は違うようだ。

「もし、栗山監督がノムさんを本気で尊敬しているなら、“師匠は、野村さんです”と公言しているはず。でも、栗山はノムさんの代名詞“ID野球”という言葉を一切使わない。ノムさんは、そこが気に入らないんじゃないかな」(前出のデスク)

“あの経験があるから”とは、反面教師という意味か。栗山監督がメディアの取材に対して口にするのは、かつての名将・三原脩監督の名前。栗山監督は三原監督がヤクルト監督時代につけていた「80」の背番号を身につけている。

「三原氏は、巨人、西鉄、大洋、近鉄、ヤクルトなどを渡り歩いた勝負師。選手の調子やバイオリズム、相手チームの弱点を見逃さず、周囲があっと驚く采配を何度もやってのけ、魔術師の名をほしいままにしました。今年の栗山采配のそこかしこに、三原魔術の影を見ることができます」(前同)

 たとえば7月中旬、右手中指のマメのためにエースの大谷がローテーションを外れた際、抑えで不調に喘いでいた増井浩俊を先発に転向させる“奇策”が見事に成功。合わせて、大谷を休ませず打者に専念させて、苦しい時期を乗り切った。

 また、11.5ゲーム差からの逆転優勝自体、三原氏が西鉄を率いていた58年に、南海を相手にやってのけた11ゲーム差の逆転優勝に酷似している。さらに言えば、二刀流選手を育てたのも、三原氏が元祖だ。「三原氏が近鉄の監督だった68年、当時の新人投手・永渕洋三に投手、外野手、代打の3役を与えて使いこなし、翌年には打者に専念させて、首位打者を取らせています」(球団関係者)

 まさに名将・三原を再現している栗山監督だが、これがまた、野村氏をカリカリさせているに違いない。「ノムさんは、三原さんに加えて、水原茂、鶴岡一人、川上哲治、西本幸雄の各監督を5大監督と称していますが、一方で“彼らは内野手出身。細かい点を見ているという点では、やはり捕手の右に出る者はいない”とも言っています」(前同)

 つまり、自分が最高の名監督で栗山監督が教え子なのに、それを無視しているのが許せないのではないか。「まあ、普通の会社でも、成功した直属の部下が、他部署の先輩のおかげですなんて言ったら、面白くないですからね(笑)」(同)

 ノムさんの“やっかみ”は、日本一になった栗山監督の成功を認めた証拠なのかもしれない!?

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