――邦子さんがリカちゃん人形を手に、人形劇をやっているんですが、本人が本気なだけにシュールで、なんか笑ってしまいました。
山田 何せリカちゃん歴も50年近いですから(笑)。あれも、子どもの頃から一人こっそりやっていた遊びなんですよね。釣りも同じ。海釣りの様子をただただ流しているだけでも、見てくれる人が多いし、その場でコメントもくれる。タレント側もテレビとは違う面白さを感じられますね。
――ちなみに、邦子さんがテレビで大ブレイクしたのは『俺たちひょうきん族』(フジテレビ系)でしたね。
山田 ビートたけしさんには、本当にかわいがってもらいました。たけしさんにすれば、面倒だったと思いますよ。私みたいなモノマネでぽっと出のタレントと一緒に仕事することになって。しかも女の子でしょ。鬱陶しかったんじゃないかなぁ。何度か、車から降ろされたこともありました。
――え? 降ろされた?
山田 たぶん、仕事が終わると、おねえちゃんところに遊びに行くんじゃないですか? それなのに私が、お供しようと、先に車の中で待っているから、“なんだ、お前。降りろ”って(笑)。そういうことは10回以上ありましたね。
――アハハ。仕事のことで怒られることも?
山田 しょっちゅうです。今も忘れられないのはテレビに出始めた頃、私は台本に書いてあることをしゃべれば、“もう私の役目は終わった”と思って、ボケーッとしていたんですね。すると、たけしさんに、“アハハ”と笑うだけでもいいから、参加しろ!と。
――どうしてですか?
山田 テレビの枠の中にいなきゃダメだよ~ってことでしょうね。何もせず突っ立っていると編集で切られてしまうし、番組の間もつなげない。笑うだけでも、楽しい雰囲気が伝わることもあるじゃないですか。当時の私は一匹狼というか、“自分のネタさえよければ、自分の出番が終われば後は知らない”みたいな一面があったんですね。
――気配り上手な印象の邦子さんなのに……。
山田 群れるのも大嫌いだった(笑)。だから、あのときのたけしさんのアドバイスがなければ、その後、番組で司会なんてできなかったと思いますね。
――いい話ですね。ちなみに、たけしさん伝説で、一つお聞きしたいことが。
山田 なんでしょ?