島田「そうか? そういえば、エエ話もう1個あるわ」

ゆま「お願いします(笑)」

島田「嫁のお父さんがな、入院したときな。もう、いつ死ぬか分からんから、“今のうちにしたいこと、しとけ”って嫁が言うたんや。そしたら、お父さんが“最後に、もういっぺん、洋七の漫才が観たい”って言うねん。でも、漫才って……お客さんがおらんと反応がないから、おもろないやん。家族の前でやってもなぁ~」

ゆま「それで、どうされたんですか?」

島田「さっき佐賀の市民ホールが満員にならへんって言うたやろ。あそこにお客さんを入れて漫才やろうと思ったんや。オール阪神・巨人や、今いくよ・くるよ、中川家にも声かけてな」

ゆま「錚々たるメンバーですね……すごい」

島田「俺は利益いらんけど、会場代やら、他の芸人に払うギャラは必要やろ。で、俺の利益なしで計算したら、チケットは2300円ぐらいになった」

ゆま「めちゃくちゃ安いですね(笑)」

島田「2300円が限界やったわ。んで、あとは同級生とかに頼んでポスターを作ってもらって、それをみんなで街中に貼りまくったんや。これで宣伝費もタダや」

ゆま「すごくエエ話ですね~。あ、3回だけ満員になったイベントって……」

島田「そや、そのうちの1回は、この漫才イベントや。お父さんも喜んでくれた」

ゆま「奥さんが羨ましい~」

島田「俺は嫁にエエことを2回やったんや。ということは、浮気も2回はチャラってことになるで~」

ゆま「ええ!? そうなっちゃうんですか~(笑)」

島田「チャラやチャラ」

ゆま「ウフフ。あと、佐賀では農業もされているって聞いたんですが……」

島田「畑仕事というほど大したもんじゃないで。15~20坪ほどの土地に、きゅうりやナス、トマトを作っている程度や。それにしても、今の農業はすごいなぁ。なんでも機械でやってくれるもんなぁ。タキシードでも、田植えできるで」

ゆま「本当ですか!?」

島田「できる、できる。耕運機なんかも冷暖房ついとるで。ゆまさんもできるで、ドレス着ながらでも、田植えできるで~」

ゆま「ええ~!? 実は私、何度か家庭菜園に挑戦したんですけど、全部枯らしちゃった。才能ないのかなあ」

島田「天気や天気。農産物は天気に左右されるからな」

ゆま「なるほど。東京にいた頃から、農業に興味はあったんですか?」

島田「ないない。東京にいた頃は、(ビート)たけしと毎晩、飲んでばっかで、庭なんか見たことないわ」

ゆま「アハハ。たけしさんとのお話もお聞きしたいです」

島田「おお、エエで~」

(次号に続く)

島田洋七 しまだ・ようしち
1950年2月10日、広島県出身。1975年に島田洋八と結成したお笑いコンビ『B&B』で大ブレイク。漫才ブームのパイオニアとなる。87年に自費出版した著書『振り向けば哀しくもなく』は、後に『佐賀のがばいばあちゃん』と改題し、これまでに全世界で600万部以上を売り上げる大ヒットになっている。

本日の新着記事を読む

  1. 1
  2. 2