■大谷翔平のメジャーリーグ挑戦を翻意させたのは…

 指名が成功しても、「プロ入り拒否」という事態になるケースもある。「ロッテのスカウト時代、愛甲猛を指名しようとしたんだけど、“ロッテには行かない”って言われたんだよね。だから、俺とスカウト部長と球団代表が何回も横浜高校に行ったよ。巨人のスカウト時代は、明治大に進学が決まっていた岡崎郁を指名して、長嶋茂雄さんが説得しにいったら、すぐに落ちたね」(前出の城之内氏)

 どうやって“落とす”かということで記憶に新しいのが、12年。話題は、大谷翔平で持ちきりだった。メジャー挑戦を表明して迎えたドラフトで、日本ハムが1位で指名。指名後の会見で「アメリカでやりたい気持ちは変わらない」と話した大谷の気持ちを、どう変えたのか。「日本ハムは入団させるために、“メジャー挑戦への道”という資料をパワーポイントで作って渡したんです。そこには、“なぜ日本ハムなのか”“先輩たちがどうやってメジャーに行ったか”など論理的に書かれていた。そして、数字を使って具体的に、どうすればメジャーで成功するのかも説明してあり、それで大谷はプロ入りを決意したんです」(スポーツ紙デスク)

 結果的に日本ハムは、大谷の単独指名に成功し、近年では“ドラフト巧者”と呼ばれている。それはスカウトと球団の連携が、しっかり取れている証拠だろう。

■スカウトと球団が喧嘩してしまうことも

 一方で、担当スカウトの考えと球団の方針が乖離してしまうケースも多々ある。「01年のドラフトで、PL学園の今江年晶(本名は敏晃)を指名したんですね。打つのも性格的にも、この子なら間違いないと。トップ(1位)で指名する約束をしたんです。編成部長とスカウト部長もOKを出して。それで学校側から“本当に1位なんですよね”って聞かれて、冗談めかして“私がクビにならない限り大丈夫です”と答えたら、そしたら私じゃなくて、編成部長とスカウト部長が交代してしまったんです。すると、方針が変わって“違う選手で行くから”と連絡があり、球団と喧嘩しましたね。もう辞める覚悟もありました。ドラフトの少し前に球団が話しにいって、納得してもらったんですけどね」(前出の鈴木氏)

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