■テンポイントの有馬記念Vは日本中が感動に包まれた

 そして最後はオールドファンにとっての定番。杉本氏といえば、この実況だ。

「見てくれ、この脚。見てくれ、この脚。これが関西期待のテンポイントだ」

 75年の阪神3歳S。東高西低と呼ばれた競馬界に、突然現れたスターだった。「テンポイントにはたくさん思い出があるんですけど、印象深いのは春のクラシックを負けて迎えた京都大賞典。弱々しかった栗毛の馬体が、40キロくらい増えていたんですよ。そのレースは3着だったんですが、先(菊花賞)もあるし、“今日はこれで十分だ”と実況した。するとディレクターが飛んできて、“単勝を買っている人もいるのに問題になるよ”と怒られました」

 しかし、翌日になっても電話は1本も鳴らなかった。競馬ファンも同じ気持ちだったのだ。そして、その菊花賞で生まれたのが、この実況だ。

「それゆけテンポイント! ムチなどいらぬ! 押せ、テンポイント!」

 まさに文字にするだけでも熱が伝わってくる言葉だが、グリーングラスに敗れ、結果は2着。この言葉は“テンポイントが強すぎて鞭などいらない”という意味で伝わっているが、実際は違っていた。「騎手の鹿戸明が、内から鞭を叩いて馬が外へ外へとヨレていくものだから、怒りながら実況したんです。グリーングラス陣営には申し訳なかったけどね」

 そして、77年の有馬記念。本来は関東圏でのレースなので実況はしないが、テンポイントは翌年、海外遠征が決まっていた。そのドキュメンタリー制作のために、杉本氏も有馬記念の実況をすることになった。ライバル、トウショウボーイとのマッチレースとなった、このレースで生まれたのが……。

「あなたの、そして私の夢が走っています」

 テンポイントは、見事に優勝。日本中が感動に包まれた。

 今年も残すところ、あとわずか。競馬ファンの夢は、名実況とともに走り続ける。

杉本清(すぎもと・きよし)
1937年2月19日生まれ。61年、関西テレビのアナウンサー試験に合格。同年から競馬の実況を担当し、幾多の名実況を生んだ。

馬場鉄志(ばば・てつし)
1950年9月27日生まれ。競馬の実況をするために関西テレビに入社。競馬だけでなく、野球やマラソン中継など、幅広く活躍している。

本日の新着記事を読む

  1. 1
  2. 2
  3. 3