優香
※画像は、Carat―優香CF special (双葉社スーパームック) より

平成アイドル水滸伝~宮沢りえから欅坂46まで~
第3回 雛形あきこと優香の巻~グラビアと平成女性アイドル【後編】

優香が引き受けた“世紀末”

 (前回の続き)この雛形あきこの生き方を踏襲する一方、グラドルをより一般受けする存在にした功労者が、1980年生まれの優香だった。事務所が同じなわけではないが、いわば「グラドル株式会社」の創業者と二代目のような関係である。

 1997年デビューの優香も、雛形あきこと同じくグラドルとして人気が出た後、グラビアをやめてドラマやバラエティに活躍の場を移した。2004年の大河ドラマ『新撰組!』ではヒロイン役に挑戦し、志村けんのコント番組で長年相手役を務めたのは、よく知られたところだ。

 ただ、優香は時代とのシンクロ率が高かった。そこが雛形との違いだろう。

 きっかけは飯島直子と共演した1999年の缶コーヒー・ジョージアのCMだった。

 飯島はそれ以前からジョージアのCMに出演し、日々仕事に追われる男性に向かって「ジョージアで、ひと休み」と呼びかけ、「癒し系」としてブレークしていた。キーワードは「やすらぎ」。その名を冠した「やすらぎパーカー」のプレゼントには、全国から応募が殺到してニュースにもなった。

 優香は、同じCMへの出演によって、ひと回り年齢の違う飯島直子から「癒し系」ののれん分けをしてもらうかたちになった。飯島も最初はキャンペーンガールとして大胆な水着姿で人気者になり、それからドラマやバラエティに進出していった。元ヤンと元ギャル(芸名の「優香」が当時女子高生の会話でよく使われていた「て言うか~」から来ていることは有名な話だ)であったあたりもオーバーラップする。

 「癒し系」は1999年の流行語でもあった。栄養補助錠剤のCMで使われた坂本龍一のスローなインストゥルメンタル曲『energy flow』が異例の大ヒットを記録するなど、そこには社会全体の疲労感が透けて見える。

 もはや懐かしささえ感じるが、1999年と言えば「ノストラダムスの大予言」で人類が滅亡するとされた年だ。1970年代に解説本が大ベストセラーになっていた。本気で恐れるひとはごくわずかだったとしても、なんとなくプチ終末意識を抱きながらこの年を迎えたひとは少なくなかっただろう。

 しかし実際には、当たり前だが人類滅亡などといったド派手なことはいっさい起こらなかった。むしろ逆に、不況感が高まるなか出口も見つからず、なにも代わり映えのしない日常が淡々と続いていく空しさが、仕事や勉強に頑張ろうとしてもついついまとわりついてくる。それが日本の“世紀末”だった。

 つまり、そろそろ21世紀になろうというこの時期、日本社会の疲労度はかなり限界ぎりぎりのところまで来ていた。それは、ただ優しくされた程度では回復が難しく、ちょっとしたスパイスが必要だった。だからこそ、優香が「癒し系」として時代を引き受けるためには隠し味としてギャル成分が必要だった。軽い「上から目線」で、でも優しく励ましてくれる存在が求められたのだ。そこには、雛形あきこのSキャラの残響も聞き取れる。

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