■セクシー路線に転向して国民的アイドルに

 作戦は成功。スカウトされ、デビューが決まった2人だが、当初は『スタ誕』同様のフォーク路線でのデビューが決まりかけていた。「『白い風船』というユニット名が候補に挙がっていたとか。そこから方向転換がなされ、『スタ誕』の審査員でもある作詞家の阿久悠氏、作曲家の都倉俊一氏らの手により、肌の露出が多い衣装を着て激しく踊って歌う、あのスタイルが生まれます」(前同)

 イメージの下敷きにしたのは、同じく阿久&都倉コンビが仕掛けた『どうにもとまらない』『狙い撃ち』などの山本リンダだとか。ユニット名はカクテルの名前を引用し、都倉氏が命名した。

 このように大人の観客向けにプロデュースされたピンク・レディーだったが、デビューから間もなく、想定外の層からの人気が一気に爆発した。「もちろん、オジサン層のファンも多かったと思いますが、彼女たちの人気を支えたのは若年層、しかも女の子でした」(前出の記者)

 国民的なアイドルとなったピンク・レディーは、オリコンで5曲連続ミリオンセラー、睡眠時間最大3時間、新曲の振付は初披露当日に2時間で覚えた――といった伝説級の逸話を数多く残している。

■ラン、スー、ミキは「普通の女の子に戻りたい」と解散宣言

 ただし、そんな時代もキャンディーズ人気が落ちることはなかった。「強い風当たりは感じていました。ただ、あちらは阿久さんが強烈な色合いの歌詞で攻めてくるのに対して、こちらは対極にある、生活感の中に品性を持たせた曲を作るようにしていたんです」(酒井氏)

 キャンディーズは、20歳前後の男性の支持が厚く、『全キャン連(全国キャンディーズ連盟)』なるファンの連合組織も誕生した。「普通の女の子に戻りたい」――。キャンディーズがライブ中に突然の解散宣言をしたのは、あまりにも有名だ。「あれは、多忙な毎日からの解放を望んだ本人たちの意思で、半ば強行突破的に宣言したものでした」(芸能プロスタッフ)

 そして、ラン、スー、ミキは78年4月、超満員の後楽園球場でのコンサートを最後に、惜しまれつつステージを去った。

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