■風呂と銭湯にまつわる歴史クイズ

 日本人と風呂との関わりは奈良時代にさかのぼる。意外なことに最初は「蒸し風呂」から始まるのだが、仏教伝来とともに寺院建築のひとつとして法隆寺をはじめ多くの寺院に設けられ、「沐浴」といった身を清めるという宗教儀式に。やがて民間でも盛んに造られていくのだが、日本の風呂は、この「蒸し風呂」、それに足湯のような浅い浴槽がついた「戸棚風呂」、全身を浸す「薬湯」を経て「町風呂」となっていくのである。そんな風呂を改めて知るホットな歴史クイズにチャレンジしてください!

Q1 風呂とは、もともと密封された空間を意味する、ある言葉が転じたもの。その言葉とは何か?

Q2 銭湯は中世にあった太平記(1370年~71年)などの書物に、その記述が残っているが、そこには「銭湯」以外の呼び名が書かれている。それは、なんと呼ばれていた?

Q3 銭湯の営業が一般的になったのは、江戸時代を迎える直前の天正19年(1591年)、江戸の神田鉄瓶橋近く、伊勢与市という人が始めたのが最初である。当時の入浴料は永楽銭で何文だった?

Q4 江戸の中期頃に初めて、湯に浸かる銭湯が定着した。江戸の人たちは各家庭で風呂を持つことを幕府から禁止されていたが、その理由は何か?

Q5 江戸時代の銭湯は、なんと呼ばれていたか?

Q6 江戸時代の風呂屋には客の垢をかいたり髪をすいたり、または酒の相手をする女性が働いていた。彼女らは、なんと呼ばれていたか?

Q7 寛政年間(1789年~1801年)、幕府により風紀上好ましくないとして、たびたび江戸の風呂屋に、ある禁止令が出されたが、それはなんの禁止令か?

Q8 明治時代の頃まで風呂屋では熱が逃げないように、浴槽の周りを板で囲い、さらに入り口を狭くしていたため、客はみんな、かがみ込んで入っていった。その入り口の名前は、なんと言った?

Q9 風呂には欠かせない石鹸だが、明治22年、我が国で初めて石鹸製造に成功している舶来物を販売していた洋物店の長瀬商店は後に、ある洗剤化粧品メーカーとなる。その社名は?

Q10 入浴が流行した天和年間(1681年~88年)頃には、男子は「風呂ふんどし」を用い、女子は「湯文字」と呼ばれる布を腰に巻きをつけて入浴していた。入浴する際には衣服を、そして湯から上がる際は濡れたものを平包みと呼ばれた四角い布に包んでいたが、その四角い布は後に、なんと呼ばれるようになる?

Q11 文禄・慶長の役で豊臣秀吉が朝鮮遠征のとき、鉄釜の上に据えた桶に湯を注いで、周りを密封して蒸し風呂にした簡易式風呂である「据風呂」を造らせた。この風呂は後に、ある大泥棒の刑罰に使用したために庶民の間に大流行するのだが、その風呂の名前は?

●A答え Q1 室(むろ)Q2 湯銭 Q3 一文 Q4 火事を防ぐため Q5 湯屋 Q6 湯女(ゆな)Q7 混浴禁止令 Q8 石榴口(ざくろぐち)Q9 花王石鹸 Q10 風呂敷 Q11 五右衛門風呂
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