松本伊代
※画像は松本伊代の1stシングル『センチメンタル・ジャーニー』より

80年代アイドル美女黄金白書

第10回・松本伊代

 女子大生。この言葉に、特別なプレミアム感が生まれた時期があった。

 ブランド品、テニス、スキー、ディスコ、カフェバー、コンパ……。勉強は二の次で、遊びとおしゃれと恋愛が本分といった80年代前半の女子大生(の一部)は、メディアで盛んに持て囃されていたのである。

 16歳でデビューし、その後、そうした時流に上手く乗ったのが松本伊代(53)である。

 その歌手デビューは、81年秋だ。デビュー曲『センチメンタル・ジャーニー』は、オリコンでベスト10入りしてヒット。いきなり第一線のアイドルとなった。

 当時の女性アイドルで、1曲目がベスト10入りというのはレアケース。松田聖子(56)や中森明菜(53)、小泉今日子(52)も果たせていない快挙なのだ。

 また、「伊代はまだ16だから」と、自分の名前を入れた歌詞が話題を呼んだ。だが、これに対しNHKが待ったをかけた。

 “歌手名を含んだ歌詞は、歌手本人の宣伝になる”という理由で、NHKで歌う際は、“伊代”を“私”に差し替える処置がとられた。これは、当時のNHKのおカタい体質を物語るエピソードとして今でも語り草になるほどで、かえって松本伊代の宣伝になるという皮肉な結果に終わった。

 当時、各音楽賞・歌謡賞の規定で秋以降デビュー組は翌年の新人扱いに組み込まれた。従って81年10月にデビューの彼女も、“花の82年組”の一員にカウントされる。その時代、華やかなアイドル群像を形成するひとりとして、彼女をメディアで見ない日はなかった。

 昭和のアイドルたちの半生は、野心に燃える田舎娘のシンデレラストーリーや、経済的に恵まれないハングリーな少女の立身出世物語である場合が多い。

 だが、彼女には、“芸能界でのし上がってやる”といった、ギラついた雰囲気が一切なかった。都会育ちで小学校から私立に通っていた彼女には、常に余裕が感じられたのだ。

「“都会の女の子”的キャラが彼女の魅力でした。強烈な存在感はないのですが、だからこそ、飽きられることなく長い間、活躍できたのかもしれません」(テレビ制作会社関係者)

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