■野村克也監督に攻略されて
全盛時の村田氏のフォークボールに対し、他チームも手をこまねいていたわけではない。フォームのクセをつかみ、攻略の糸口を見つけたのは、南海の野村克也監督だった。
村田 俺がフォークを投げるかどうか、最初に見破ったのはノムさんだったね。マサカリ投法では、右腕を下に降ろした瞬間、ボールの握りが丸見えになる。南海はフォークの握りが見えると、三塁コーチが口笛を鳴らしてバッターに教えていたんだよ。
俺のフォークは、ほとんどが低めのストライクゾーンからボールになる。つまり、フォークと分かれば振らなければいい。
■巨人対阪神戦のような大観衆だったら
それに、あの頃のパ・リーグの試合はどこも閑古鳥が鳴くような状態だったから、口笛がよく聞こえるんだよ。巨人対阪神戦のような大観衆だったら、まず聞こえないからね。このときばかりはセ・リーグの球団に移籍したくなったよ(笑)。
でも、相手が策を講じたなら、こっちは、その上を行く技量を見せないといけない。それでこそプロ。俺は投球モーションの途中で、フォークとストレートの握りを自在に変えるテクニックを身につけた。
これで、今度は相手が翻弄される番。わざと相手打者にフォークの握りを見せてから、ストライクゾーンに速球を投げたこともある。こうした切磋琢磨と技術革新があったから、通算で215勝もできたんだ。