南野陽子が「アイドル」から「女優」になるために必要だった衝撃の仕事の画像
※画像は南野陽子のシングル『吐息でネット』より

80年代アイドル美女黄金白書

第11回・南野曜子

 “ナンノ”こと南野陽子(51)は、神戸の名門女子校に通っていた生粋のお嬢様。その反面、負けず嫌いで、気の強さが前面に出ているアイドルだった。

 デビューは、アイドル戦国時代の戦火が激しい85年。弱小プロダクション所属していたこともあり、当初は苦戦を強いられた。

 同期デビューの斉藤由貴(52)、中山美穂(48)、本田美奈子(当時=故人)らがスタートダッシュに成功し、おニャン子クラブというモンスターの存在もあった。そんななか、ナンノはデビュー曲『恥ずかしすぎて』が不発。そのままでは、B級アイドルへの道を一直線……が、必至だった。

 ところが彼女は、そこで終わらなかった。なんと自主的にアプローチして、放送局や出版社への自らの営業活動を地道に続けるという、いわばドブ板作戦を敢行するのだ。

 そして、努力は報われた。85年11月から放送のテレビドラマ『スケバン刑事Ⅱ 少女鉄仮面伝説』(フジテレビ系)の主役に抜擢されるのだ。

 鉄仮面を被って育ったスケバンで、セーラー服姿で超合金ヨーヨーを武器に戦う特命刑事。しかも、台詞は土佐弁……。そのあまりの荒唐無稽さが話題を呼び、ドラマは高視聴率を記録した。

 視聴率に比例してナンノ人気も急上昇。鉄仮面は彼女にとって、ガラスの靴だった。

 ドラマの挿入歌となった2枚目の『さよならのめまい』がオリコン15位に。続く『悲しみモニュメント』が初のベスト10入り。87年に『スケバン刑事』が映画化され、その主題歌『楽園のDoor』が遂に1位に輝く。

 以後2年間はリリースした8枚のシングルがすべて1位に。女優としては『アリエスの乙女たち』(87年)、『熱っぽいの!』(88年)、『追いかけたいの!』(88年)と主演ドラマが立て続けに放送され(いずれもフジテレビ系)、88年にNHK大河ドラマ『武田信玄』のヒロイン役を演じている。

 超A級アイドルとなったナンノは、ラジオのDJとしても人気が高かった。アイドルの域を脱した本音トークは、多くのリスナーに支持された。ただし、これは諸刃の剣でもあった。

「普段から思っていることを口に出さないと気が済まないタイプ。誰もが知る著名カメラマンに撮影されているときでさえ、納得がいくまで構図やアングルに口を挟んでいたようです。プロ意識が高いともいえますが、そうした面が“傲慢”だとか“ワガママ”だといわれるようになっていきます」(出版関係者)

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