■巨人から非情な戦力外通告

 1993年オフにFA制度がスタートして以来、大きな恩恵を受けてきた巨人軍。その中心にいたのは、長嶋茂雄監督だった。「93年に監督復帰して3位に終わったミスターは、さっそくFAで落合博満を獲得。この補強は功を奏し、翌年、日本一に輝いています」(巨人番記者)

 その後も長嶋監督は、FAで他球団の主力をかき集める“大型補強戦略”を推し進めた。そして長嶋流のチーム編成術は、愛弟子である原監督に引き継がれ、3連覇2回という常勝軍団を作り上げる。

 しかし、そんな大型補強の陰では、球団から見捨てられてしまった選手も少なくない。「プロは実力の世界ですが、FA以降、球団のシビアな面が浮き彫りになったのもまた事実。かつての主力も戦力にならなくなれば、あっさりクビを切る……。実際、FA移籍組の中で、引退を巨人で迎えた選手は6人しかいません」(ベテラン記者)

 巨人が下した非情な決断。記憶に新しいところでは、村田修一だろう。村田は11年に横浜からFAで巨人に移籍。4番打者として活躍し、生え抜き以外では初となる選手会長も務めた。「17年のオフ、村田は戦力外を言い渡されました。球団の発表では“若返り”が理由でしたが、簡単に功労者のクビを切ったという印象は拭えませんでしたね」(前出の巨人番記者)

 この年、村田は開幕当初こそ控えだったものの、最終的には118試合に出場。打率2割6分8厘、14本塁打、58打点という、まずまずの成績だった。「常時スタメン出場すれば、まだまだ結果は出せたはずですし、三塁の守備はトップクラス。巨人も他球団が獲らないとは思わなかったんでしょう。通算2000安打達成間近(残り135本)だったこともあって、球団側の冷酷さが際立ってしまいました」(前同)

 村田は、独立リーグで現役を続行したものの、翌18年に引退している。

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