■涙のドラフトで挫折を味わって

 そして村田同様、巨人に冷遇されたFA選手として、忘れてはいけないのが清原和博だ。清原は1985年の“涙のドラフト”で挫折を味わいながらも、96年、FAによって巨人入団という夢をかなえた。しかし――。

「清原本人も著書『告白』(文藝春秋)で、〈巨人での最後の2年間は辛いことばかりだった〉と語っていましたが、晩年は球団との摩擦がたびたび報じられるような状況でした」(同)

 04年に堀内恒夫監督が就任すると、清原の出場は激減。オフには翌年の戦力構想から外されてしまう。「退団もささやかれた中で、清原は“泥水を飲む覚悟で”と巨人残留を決意。そこには、大好きな巨人で現役を終えたいという強い思いがあったといわれています」(同)

 そして05年、清原は開幕4番に座り、復活の兆しを見せる。しかし、まだシーズン真っ只中の8月、当時の清武英利球団代表から“来シーズンは契約しない”と、早すぎる戦力外通告を受けてしまう。

「清原の場合、故障による衰え以外に、チーム内での“素行の悪さ”が球団側から問題視されていたのも大きい。ちなみに同日、清原の舎弟格だった元木大介にも戦力外が言い渡されています」(前出のベテラン記者)

 その後、清原はオリックスに移籍するが、満足に活躍できないまま08年に引退。“巨人でユニフォームを脱ぎたい”という清原の夢を、球団がまたも裏切ってしまう結末となった。

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