■球史に残る「天覧試合ホームラン」

――そうそう、長嶋さんと言えば、球史に残る「天覧試合ホームラン(1959年6月25日)」ですよね。

「長嶋さんの傘寿のパーティで、急遽、司会を言い渡され、インタビューをすることになりまして。まず、“目を閉じて、これまでの野球人生を振り返って浮かんだ試合はなんですか?”と聞いところ、“天覧試合でのホームランだ”と。阪神・村山実のインコースを狙って打ったら、レフトスタンドに入るんですが、長嶋さんは、“もう天皇陛下は帰られている時間かもしれない”と思ったそうですね。陛下は9時15分まで観戦してお帰りになる予定だったわけです。で、長嶋さんが打席に入ったのが9時12分。それで長嶋さんは、二塁から三塁へと走るときに、不敬と思いながらも我慢できずに顔を上げてバックネット裏の貴賓席を見たら、陛下が身を乗り出して観ていたそうで、そのときに“親孝行できた!”と感じたそうです」

――凄い話ですね!  徳光さんにとって長嶋さんは、どんな存在ですか?

「長嶋さんと同じ時代に生きていなかったら、今日の自分はいないんですよ。高校2年生のときに観た慶立戦で、当時の大学野球新記録である8号ホームランを放って三塁ベースを小躍りして回る長嶋さんを観て、“この人の後輩になりたい”と思ったんです。その後、補欠合格ながら立教大学に入ったことが、人生の出発点ですから。日本テレビ入社1年半で、先輩から“ミスターに憧れて立教大学に入って、日本テレビのアナウンサーになった徳光”と紹介されたとき、長嶋さんの“そう、頑張ってね!”というハイトーンボイスは、いまだに忘れられないですよ」

――そうした“長嶋愛”が、1980年に長嶋さんが巨人の監督を辞めたときの、徳光さんの名スピーチにつながったわけですね。

「僕は『ズームイン!!朝!』の司会をしていたんですけど、プロデューサーから“15分あげるから長嶋さんのことを語ってほしい”と言われまして、 “これは辞任ではなく解任だ。今後、読売新聞は読まない。報知新聞はとらない”とオンエアで宣言したんです。長嶋さんは私がクビを懸けて話していると思ったらしく、後日食事に誘っていただいて、“何かあれば力になるから”と言っていただいたんです。それから、交流させていただくようになったんですけど、“親しき中にも礼儀あり”という言葉を胸におつきあいをさせていただいています」

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