■甲子園で150キロ、田中将大の記録に並ぶと

 連日、全米を沸かせている大谷。「リトルリーグ時代から、120キロ近く出ていた」(地元関係者)という証言もあり、プロ入り前から怪物伝説には事欠かない。「“岩手の強豪”花巻東高校の2年時には、甲子園で150キロを出し、田中将大(現ヤンキース)の記録に並ぶと、3年時の岩手県大会ではアマ球界では前人未到の160キロを達成し、スカウトの度肝を抜きました。打者としても、3年時のセンバツ大会では、藤浪晋太郎(現・阪神)からホームランを打っています」(高校野球専門誌記者)

 大谷が藤浪からホームランを放った試合は、王貞治ソフトバンク会長も観戦していたという。「王さんは、“彼は打者として大成するはず。僕のホームラン記録を抜くことができるかもしれない”と絶賛していました。一流は一流を知る、ということですね」(王会長に近い関係者)

 それでも、王会長がGMを務めるソフトバンクは、2012年のドラフトで大谷を指名しなかった。「大谷の才能に目をつけたドジャースやレッドソックスが、ドラフト会議前に大谷に接触し、獲得を打診していたからです。本人もメジャー志向が強かったため、“大谷はメジャーに行く”というのが球界関係者の共通認識になっていました。日ハム以外が指名を見送ったのは、そうした理由からです」(スポーツ紙デスク)

 メジャーに行きたいという大谷の気持ちを知りながら指名を強行した日ハム。当初は大谷に門前払いを食らったが、諸葛亮を訪ねた劉備の“三顧の礼”のごとく粘り強く交渉し、ついに入団の同意を勝ち取る。「栗山英樹監督の熱意が通じたんでしょう。球団は、“二刀流への挑戦”と“将来のメジャー移籍を許す”という条件を飲んだとされています」(前同)

 1年目は11回の先発登板で、3勝と負けなし。野手としては77試合に出場し、打率.238、3本塁打、20打点を記録している。「プロで本当に二刀流を実現したわけですが、ルーキーということもあり、投打とも成績は中途半端に終わっています。そのため、球界では二刀流に対する懐疑論が持ち上がり、“打者大谷”“投手大谷”で侃侃諤諤の議論となりました」(スポーツ紙デスク)

 しかし大谷は、周囲の雑音を自らシャットアウトしてみせた。「2年目は先発ローテの柱を担い、24試合に登板し11勝4敗。打っても、打率.274、10本塁打と、“2ケタ勝利、2ケタ本塁打”を実現しました。これで世間を、“本当に二刀流ってできるんだ”と認めさせたわけです」(前同)

 圧巻は4年目の16年シーズンだ。20回の先発登板で、10勝4敗、防御率1.86。野手としては打率.322、22本塁打、67打点を記録。「まさにプロでも“エースで4番”の活躍」(同)という離れ業をやってのけた。「本人は信念を持っていましたが、本当は二刀流に対するプレッシャーも相当あった。“プロなのに、二刀流なんてワガママを言うんじゃない”と憤る球界OBもいましたし、栗山監督だって、“勝ち星が計算できる投手専任で起用したい”のが本音だったはずです。そうしたモヤモヤしたものが、16年のシーズンを経て、すべて吹っ切れてしまったんです」(スポーツ紙パ・リーグ担当記者)

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