■早稲田実業からまたもやスター選手が!

 そして、王が春のセンバツで優勝してから23年後、またも早実からスター選手が登場した。のちにヤクルトのエースとして活躍することになる荒木大輔だ。

 1年生エースとして、アイドル的な人気を博した荒木。しかし、実はもともと投手ではなかった。「荒木は1年生夏からベンチ入りはしていましたが、それは控えの三塁手として。予選中にエースがケガをしたため、急遽、登板することになったんです」(スポーツ紙ベテラン記者)

 そこで結果を出した荒木は、甲子園でもエースとしてマウンドへ。5試合で4完封という大活躍を見せる。「決勝では、愛甲猛(元ロッテほか)擁する横浜と対決し、惜しくも敗れましたが、それでも荒木の人気は全国区に。当時の“大輔フィーバー”は、まさに空前絶後でした」(前同)

 そして迎えた2年夏の甲子園。荒木と白熱した投手戦を繰り広げたのが、元近鉄の主砲、報徳学園の金村義明投手だった。金村氏は当時を、こう振り返る。「地元の西宮の女子人気を全部さらっていきましたからね。1学年下の彼には嫉妬の嵐でした(笑)」

 両校は3回戦で対戦。報徳学園は優勝候補だったが、金村には“負けられない事情”もあった。「報徳は春の甲子園で、槙原寛己さん(元巨人)の大府に初戦で負けました。報徳の歴史上、甲子園初戦敗退はこれが初めてだったんです。これ以上、歴史に泥を塗るようなことはできないと、夏は必死にプレーしていました」(金村氏)

 試合は延長10回に及ぶ熱戦の末、報徳学園がサヨナラ勝ち。最後のホームを踏んだのは金村だった。「試合後、金村は“顔で負けても、野球じゃ負けられない”と口にしたとか。甲子園史に残る名言でしょう」(高校野球関係者)

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