■長嶋茂雄は緊張を知らない人だったが

 これは、“球界のレジェンド”ONこと、長嶋茂雄氏、王貞治氏とて例外ではなかったという。ベテラン記者が述懐する。

「ミスターは、現役の頃から大舞台で緊張するということを知らない人でした。ノムさん(野村克也)の“ささやき戦術”が唯一、通用しなかった選手でしたからね(笑)。そのミスターが、2004年のアテネ五輪で日本代表を率いていたときの話です。予選初戦の前日、ホテルのミスターの部屋を日本チーム団長の長船(騏郎)さんが、激励に訪れたそうです。部屋をノックしても応答はなし。再度ノックすると、“どうぞ”とミスターの声がする。で、長船さんが部屋に入ると、真っ暗。目を凝らすと、椅子に座って一点を見つめるミスターの姿があったそうです。一人で瞑想していたわけです。長船さんはビックリして、“出直します”と言って部屋を飛び出たそうですよ」

 また、こんな話も。「アテネ五輪の予選を無事突破したので、長嶋さんに話を聞きに行ったんです。すると、長嶋さんが真顔で“予選を通過できるかどうか、生まれて初めてプレッシャーを感じた”と言ったんです。この後、長嶋さんは脳梗塞で倒れてしまい、五輪本戦を中畑(清)さんに任せることになったわけですが、五輪のプレッシャーで病魔に倒れた可能性もあるのでは……」(前同)

 16年7月に読売新聞に掲載されたインタビューでは、長嶋氏本人が五輪への思いを打ち明けている。

〈やっぱり、オリンピックに出るつもりが、前からもう、あったから。オリンピックならなんでもかんでも、すべてやりたいという気持ちがあった。(中略)病気でもね、絶対出られるだろうと。僕はそういう気持ちでいましたよ。けがしても、病気になっても、絶対にオリンピックには出られる、というつもりでいましたからね。最後の最後まで行くつもりでいたの〉

 惜しくも銅メダルに終わったアテネ五輪だったが、長嶋氏は脳梗塞で不自由な体で成田空港まで出向き、帰国した選手一人一人をねぎらったという。

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