■張本勲はよく喧嘩をして

 10月に亡くなった金田正一氏は、豪快な人柄で知られた。ただ、こと野球に関しては真剣そのもの。繊細な顔を持っていた。

「国鉄のエースの座をつかんでも、決して慢心することはありませんでした。キャンプでは、チームと離れ一軒家を借りて自炊生活で体を作っていました。口癖は“脚で投げる”で、指宿(鹿児島)のキャンプでは、捕手の根来(広光)さんをおぶって、坂道を行ったり来たりしていましたね」(別の球界OB)

 ロッテの監督になった際も、選手に走り込みを厳命したため、「マラソン選手じゃない」とチームから不満が出たとか。

 その金田氏が弟のようにかわいがった張本勲氏は、やんちゃなエピソードに事欠かない。当人も自著(『張本勲もう一つの人生』新日本出版社)で、広島で過ごした中学、高校時代を、こう振り返っている。〈些細なことで、よくけんかをしていたのは事実です。それに広島はあの『仁義なき戦い』という映画の舞台になったところです。あのような人たちがなんだか格好よく見えて、よくまねをしてました〉

 張本氏は幼少期に右手を大火傷し、自由に動かすことができなくなった。プロ入り後、そのハンデを克服するために血のにじむ努力が必要だったようだ。東映を皮切りに、日拓、日本ハムと張本氏の同僚として活躍した韓国球界の重鎮、白仁天氏が言う。

「キャンプ中、深夜にトイレに立ったら、廊下でハリさんが猛然と素振りをしているんですよ。私が驚くと、ハリさんは“練習は人知れずするものだ”と……」

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