■江夏豊は薬物で逮捕された際も

 “闘将”の名で親しまれ、昨年1月に急逝した星野仙一氏も、エピソードの宝庫。

「中日の監督に就任して、初めて迎えたオープン戦でのこと。エースの郭源治の不甲斐ない投球に激怒した星野さんは、郭に“試合が終わるまで、そこで立ってろ!”と。郭は泣きそうな顔で、ずっと立っていましたよ」(中日関係者)

 選手を怒鳴りつける一方で、ポケットマネーから監督賞を出していた。「球団の出す賞金よりも高価でした(笑)。だから選手は目の色変えて張り切っていましたよ。星野さんは後援会を持っていたので、そこから賞金を出していたんでしょう。とにかく、アメとムチの使い分けが見事でしたね」(前同)

 続いて、“江夏の21球”でその名を球史に刻む江夏豊氏を見てみよう。「79年日本シリーズで見せた伝説の21球ですが、後年、“前日は朝まで漢字の勉強(麻雀の意)してた”と述懐しています。現役引退後の93年に薬物の所持と使用で逮捕された際も、売人レベルの52グラムを所持していたため、執行猶予なしの実刑判決を受けています。型破りな選手でしたね」(前出のデスク)

 それでも古参記者いわく、「実力は怪物級」だったとか。江夏氏はルーキー時代から、周囲に「俺は節目の三振は、ONから取る」と公言していたという。

「プロ2年目の68年9月17日の巨人戦でのこと。王さんから三振を取って、稲尾(和久)さんが持つシーズン最多奪三振記録に並んだんです。あと1つで記録更新なんですが、江夏さんは次に王さんに打席が回るまで待って、やはり王さんから三振を取ったんです。その間は“打たせて取る”投球に徹したわけですが、その技術はもちろん、狙って王さんから三振を取れるのは怪物の証しですよ」(前同)

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