■巨人軍4番打者の重さ

 その大投手に、デビュー戦となった58年の国鉄戦で、4打席4三振の“プロの洗礼”を浴びたのが長嶋茂雄。64年1月9日・16日号で当時、金田に抱く闘志を語っている。「なんとかして打ってやる、そう思いました。自信だってありましたからネ」

 58年8月からは川上哲治に代わり、巨人軍の4番の座に就いたが、さすがの長嶋にも荷が重かった様子。「何をやってるのか、自分でもわからなかったですよ。ただ、巨人軍の4番打者という活字の重さだけがムヤミに感じられて……」

 インタビューからは、若きミスターの意外な素顔も見えてくる。まだ独身だった長嶋に「将来、男の子ならプロ野球に行かせるか」と質問。「プロ野球なんてのは、水商売ですからネ。できたらやらせたくないというのが、きっとその時の心境じゃないかなア。でも、どうしても――と言われれば、そりゃあ、勝手にさせるでしょうけれど……」

 のちに息子・一茂がプロ入りを果たしたが、あのとき、ミスターの心中やいかばかりだったのだろうか。日本中どこにいってもファンに囲まれた長嶋。入団1年目、オールスター戦に出場した際、到着した広島の駅でファンの女性に囲まれ、胸毛を3本引き抜かれるという珍事件に遭遇した。「好きで生やしたわけじゃないんです。勝手に生えたんだから、伸ばしておいたのに……(中略)へんなもの盗まれて、自分でもオドロイちゃった」

 そんな自分について、「二枚目か、三枚目か」と聞かれると、「二枚目ですよ。だいたい、すぐに忘れちまうし、オッチョコチョイだし、絶対に二枚目だなあ」 明らかに二枚目と三枚目をカン違いしている、憎めないミスターであった。

 その長嶋でも頭が上がらなかったのが、立教大学野球部の2期先輩で、「大沢親分」と呼ばれた大沢啓二。94年1月3日号で、作家の山口洋子と対談した際、後輩・長嶋に愛情を込めて、こんな“喝”を入れた。「ありゃ、いい道ばかりっきゃ歩いてないの。栄光の道を。(中略)ドラフト会議の時にいってやったんだ。『お前、チーム弱いけど、元気出せよ』って」

 大沢と、のちに朝の情報番組で“喝コンビ”を組むことになる張本勲も、75年7月14日号「噂の男大放言シリーズ」に登場。コワモテの仮面の下に隠した、素顔をチラリと見せた。「これまで“ワル”を身上にしてたでしょう。だいたいワシ、担当の記者と口きかんかった。(中略)ボクはグラウンドでは絶対、笑わない。何試合ヒットがなくても平気な顔で、打ち損じたら“お前ら、運のいいヤツや”と思わせる。実力が伴ってそういう演技があると、メンタルな面のかけひきには効果がありますよ」

 昭和の野球界は選手だけでなく、ファンにもまた、熱気があった。97年8月4日号の「ハマコースペシャル対談」で、江本孟紀はこんな言葉を残している。「昔、ゲームが終わって食事に行くでしょう。向こうに怖そうな兄さんが座ってましてね。“オマエらのせいで、ナンボ負けたと思っとるんじゃ、コラ!”なんて言われたことがありましたよ(笑)。(中略)ボクら、いやぁ、実力の勝負ですから……、と答える以外にないですし」

 なんとも、昭和の匂いを感じさせる話である。

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