■旭天鵬「涙の初優勝」

 気迫が呼び込んだ「涙の初優勝」と言えば、12年夏場所、平幕・旭天鵬の優勝も思い出深い。5日目を終えて2勝3敗だったが、6日目から10連勝。当の友綱親方は、こう振り返る。「13日目くらいから、激励の電話やメールがものすごくて……。もともとは優勝を狙っていたわけじゃなかったけれど、“せっかくのチャンスだから、1回は優勝してみたいな”という気持ちに変わったんです」

 千秋楽、優勝の行方は、同じく3敗の平幕・栃煌山との決定戦に持ち込まれた。「ここまできたんだから、出せるものは全部出そう!と、リラックスして相撲を取れた」と語る旭天鵬。その言葉通り、土俵際の叩き込みが決まり、優勝を決める。このとき、37歳4か月。旭天鵬のみならず、花道で見守った付け人や後輩たちも涙を流して優勝を祝福していた姿は印象的だった。

 昭和40年代(1965~75年)には、多くの個性派力士が存在した。のちに父(師匠の先代・増位山)と同じく、大関の地位まで昇り詰めた増位山も、その一人である。競泳で鍛えた抜群の足腰で、内掛けなど多彩な技でファンを沸かせたが、1974年夏場所5日目の魁傑戦は、大熱戦となった。お互い左四つから、次第に右四つ。増位山が極端な右半身になると、両者は警戒し合って動かない。4分秒が経過し、この場所初の水入り。水入り後は、魁傑のすそ払いに増位山がのけぞって倒れそうになるも、体勢を立て直し、下手投げで増位山の勝利となった。

「魁傑さんとは、入門が2場所違いのほぼ同期生。若いときから、お互いの手の内を知っているから、下手に攻められない。警戒しているうちに、合計5分の相撲になってしまった。相撲人生で2回しかない水入りの相撲の中の一番です」と語るのは本人、増位山太志郎。

 増位山が他に忘れられないと語るのが、75年夏場所8日目、天覧相撲の麒麟児-富士櫻の取組だ。「突っ張り相撲の2人は50発くらい突っ張り合って、最後は、富士櫻の引きに乗じて麒麟児が勝った。僕ら四つ相撲の力士からすれば、“よくやるなぁ”って感じ(笑)。もうお互い、意地の張り合いという感じで、見ているほうは面白いよね。陛下も大変お喜びになったそうですね」(前同)

 また、71年夏場所5日目の貴ノ花-大鵬戦も、世代交代の一番として語り継がれている。21歳の新鋭・貴ノ花が30歳の大横綱に挑戦。貴ノ花のぶちかまし、大鵬の左からのかち上げで当たり合った後、左からいなす貴ノ花。体勢を崩す大鵬を100キロと細い体をぶつけるように寄り切った貴ノ花が勝利した。大鵬最後の一番は、次世代を担う若者へバトンを渡す形となった。

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