■北尾と小錦の熱戦

 昭和60年代(1985~95年)になると、大型力士の時代に移行する。199センチ、153キロの北尾と186センチ、233キロの小錦の対戦は、時代を象徴するような重量戦である。天覧相撲の1986年8日目、互いに全勝で臨んだ一番は、突っ張り合いの末、北尾の上手投げが決まったかと思われたが、軍配は小錦。物言いの末に取り直しとなり、今度は押し合いから、北尾が両上手を引きつけての寄り身。土俵際でこらえた小錦だったが、そこに北尾の体がのしかかり、さば折りで北尾の勝利。

「この相撲で右膝をケガした小錦は翌日から休場。相撲人生に大きく陰を落とす大ケガとなってしまいました」(相撲誌記者)

 転じて、平成の「長い相撲」と言えば、01年夏場所6日目の琴光喜-武双山戦だ。左を差した大関・武双山のすくい投げを警戒した琴光喜は、右上手を取って相手の動きを探っているうちに、5分が経過。水入りとなったが、再開後も両者ともほとんど動きがなく、9分16秒で再び、戦闘は休止。2番後に取り直しとなり、「三度目の正直」は琴光喜が右下手投げを連発した後、寄り切りで勝利した。

「何度も勝負を仕掛けようとしましたが、自分の度胸が足りなかった……」と、計9分45秒の相撲を反省気味に振り返るのは、琴光喜である。

 06年夏場所千秋楽の優勝決定戦、白鵬-雅山は新しい時代の到来を告げた一番だ。新大関の白鵬と大関経験者の雅山は、千秋楽の本割りを終えて、ともに14勝1敗。互いに初優勝をかけた決定戦は、元大関の意地が炸裂し、白鵬の再三の攻めをしのぐ大相撲となった。右四つ十分の白鵬が上手投げで崩しながら寄り、最後は力尽きた雅山が土俵下に崩れ落ちた。

「まさに、白鵬時代の始まりだったね。雅山に1敗をつけたのは、実はオレ。今でも、“あのとき、旭天鵬に負けていなければ優勝していた”と、雅山にイヤミを言われているよ(笑)」とは、友綱親方の弁だ。

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