乃木坂46白石麻衣
乃木坂46白石麻衣

乃木坂46「個人PVという実験場」

第7回 乃木坂46を象徴する人物だった白石麻衣の個人PV史 2/4

■アイドルへの賛辞と阻害は紙一重

 今泉力哉が「白石麻衣似の多田敦子」において独特の仕方で表現した(/articles/-/80098)ように、アイドルとして著名になることは、必ずしもポジティブな事柄としてあるわけではない。今泉は、白石麻衣に「白石麻衣に容姿が似ている一般人」役をあてながら、他者を乱暴に評するためのツールとして有名アイドルの名が呼び出されること、また著名芸能人であるだけでその内面について根拠のない烙印を押されることなどをドラマとして描出した。

 そうした有名性がもたらす憂鬱は、13枚目シングル『今、話したい誰かがいる』収録の白石の個人PV『Doll』(監督:林隆行)でもテーマとしてあらわれる。

https://www.youtube.com/watch?v=h_8cwBXmMoE
(※白石麻衣個人PV「Doll」)

 オフの時間を友人たちと過ごす白石。友人たち二人が白石にかける言葉は、表向きは彼女が有名になったことへの賛辞のようだが、それらはまた「住む世界が違う」「特別な存在」と名指しされる白石が、「一般人」から疎外されることと紙一重でもある。やがて、友人たちが「一般人」のフリーさの象徴として言い表す場所へとシーンは移り変わり、その輪の中に白石もまた、人目をはばかるように密かに佇む。

 この後半シーンで白石に訪れる「解放」は物語上、登場人物たちが実際に経験した出来事として描かれてはいない。それゆえに、彼女がその場を泳ぐようにフリーに動くさまも終盤で見せる笑顔も、その何かを超越したような屈託のなさとは裏腹に、100%の晴れやかさをもって受け止めることはできない。

 白石の映像が強い印象を残すのは、すでに彼女が「特別な存在」を表現する力を獲得しているためだが、それは単純な華やかさばかりを意味しない。著名なアイコンとして存在することで否応なくついてまわる困難さ・複雑さをめぐる表現を、白石はしばしばクリエイターに喚起する。

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