たとえば、“怪演”を見せたドラマ『M 愛すべき人がいて』(テレビ朝日系)への起用について、彼女は「客寄せパンダみたいな意味合いでキャスティングされたことも自分で理解してたし」と自身を客観視する。そしてその上で、「でもだからこそ、他の人たちに迷惑かけちゃいけないと思って一生懸命やって」と意気込みを語る。

 ただし、テレビの期待に答えることは、飽きたら使い捨てられる「消耗品」としてテレビに扱われることでもある。

「求められなくなったときに、私の何がいけなかったんだろうって思い始めちゃうと思うけど、別にいけないこととか、何が良かった悪かったじゃなくて、単純に飽きられてしまうこともあるから。見飽きたらそこで終了なんですよ。消耗品だから」

 だから、彼女はカメラに向かって繰り返し、自身を消費するテレビをはじめとしたメディアに抵抗する自分も晒す。古巣であるTBSのバラエティ番組の台本に、以前と同じような“ぶりっ子”キャラを思わせるセリフが書かれていると、「『かわいい感じで』ってさ、これいつまで」とため息をつく。インタビュー記事などのゲラには細かくチェックを入れ、本文にそぐわないタイトルにも注文をつける。それもこれも、自分の“本質”を譲り渡したくないからだ。

「メディアのためにって思ってたら、どんどんホントに自分の本質みたいなものが失われていって。それこそ仕事を失ったときになんにもない自分になって、私、空っぽだなって感じちゃいそうだなと思って」

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