■早撃ちの名手が到達した境地
一度きりの人生を謳歌したのが、1月18日に虚血性心疾患で亡くなった俳優の宍戸錠さん(享年86)だ。日活時代に、早撃ちの名手“エースのジョー”として一世を風靡した宍戸さんは、プライベートでは女を撃ち落とすのが得意だったという。
「妻子がいましたが“1300人斬り”を自称し、晩年まで数え切れない女性たちとベッドインしていたとか」(前出の記者)
11月12日に老衰で亡くなった歌舞伎俳優の坂田藤十郎さん(享年88)は、女遊びが“芸の肥やし”といわれた時代を生きた。
「中村扇雀と名乗っていた若い頃から、祇園界隈の遊び人として知られていました。58年に宝塚女優だった扇千景さんとデキ婚をしますが、その後も、女性問題でマスコミを賑わせるのが常。それを、扇さんは“男の甲斐性”だと容認していたんです」(芸能記者)
その遊びっぷりは、自身が人間国宝に、千景夫人が国会議員になってからも変わらなかった。中村鴈治郎を名乗っていた02年には、70歳にして19歳の舞妓とのホテル密会が写真週刊誌にスクープされている。直後、記者に囲まれた藤十郎さんのコメントは実に痛快だった。
「70歳なのに、こんなふうに報じられてうれしい。世の男性も頑張って」
このコメントが大いに受けて、大きな問題には発展しなかった。
「今なら“人間国宝を辞退しろ”とSNSで大炎上するかもしれませんが、当時はいい時代だったんですね」(前出の芸能記者)
人生を充実させるのは、ずっと夢中になれるものが必要だ。4月10日に、肺がんで亡くなった映画監督の大林宣彦さん(享年82)は、こう語っている。
「幸福に生きる秘訣は、自分の一番好きなことをして生きるということに尽きる」
大林さんは“好きなこと”である映画作りを晩年まで続けた。コロナ禍で一度は公開延期された新作『海辺の映画館-キネマの玉手箱』は、没後の7月に封切られた。
世界で初めて素粒子ニュートリノの観測に成功し、02年にノーベル物理学賞を受賞した物理学者の小柴昌俊さんも、大林さんに通じることを語っていた。
「自分が本当にやりたいことを見つけられたら、後はもう大丈夫」
“本当にやりたいこと”を追求し、世界から認められた小柴さんは、11月12日に老衰で亡くなった。94歳の大往生だった。