六大学のスターと甲子園のスター…。鳴り物入りで“球界の盟主”巨人軍に入団した両雄を“プロの洗礼”が襲う!
プロ野球の春季キャンプは、各球団とも“変則キャンプ”を余儀なくされそうだ。例年通りとはいかないキャンプに加え、助っ人外国人選手の来日が遅れるケースも懸念されている。異例ずくめの2021年シーズンだが、セ・パ両リーグとも、3月26日の開幕を目指すことが発表されている。選手たちが期待と不安を抱えながら待ちわびる新シーズン。では、“球界のレジェンド”の長嶋茂雄、と王貞治の1年目のシーズンは、どんな様子だったのだろうか? 好評をいただいている実録連載(不定期)の第6弾!(文中一部=敬称略)
昭和33年(1958年)4月5日――。後楽園球場は“ゴールデンルーキー”長嶋茂雄を見ようと詰めかけた4万5000人の大観衆で、あふれ返っていた。長嶋と対決するのは、当代最強の投手・金田正一(国鉄)。奪三振王とゴールデンルーキーの対決に、大観衆は固唾を飲んだ。
1回裏二死走者なし。3番・サードで出場していた長嶋の初打席。1球目は、金田の内角に食い込むストレートを豪快に空振り。ここから、語り継がれる「4打席4三振」が始まる。4打席、全19球の対決で、金田のボールが長嶋のバットに当たったのは1球だけ。
「内角に投げた真っすぐをよけようとして、偶然バットに当たっただけのこと。まあ、長嶋一人を抑えたところで、ワシの給料は上がりませんけどね」
試合後、金田はこう言って貫禄の違いを見せつけた。実際、勝負は長嶋の完敗だった。よほど悔しかったのだろう。長嶋はその夜、眼がさえて眠れず、夜中にムクリと起き上がると、ビュッ、ビュッと暗闇でバットを振ったという。
翌6日の国鉄とのダブルヘッダーの第1戦でも、8回に金田がリリーフとして登場した。長嶋はリベンジのチャンスだったが、金田の外角に沈むシュートに、またしても空振り。試合後、金田はこう、うそぶいた。
「シュートなんか投げるもんか。真っすぐや」
長嶋ごとき、ストレートだけで抑えられると言いたかったのだろう。
長嶋が初めて金田からヒットを放ったのは、開幕から13試合目の4月19日のことだった。この日の第4打席、長嶋は金田の初球のストレートを振り抜き、レフト前に運んだが、試合後のインタビューでは、うれしさよりも、悔しさをにじませている。
「金田さんのカーブを打とうとして、2打席目から上半身を少し前に出してみたけど、うまくいかなかった。あのカーブを打ちこなすようにならなければダメだ……」
六大学のスターだったゴールデンルーキーに、プロの洗礼を与えた金田。しかし、実際は長嶋を警戒していたという。
「3月25日のオープン戦で、長嶋は大毎のエース・小野正一からホームランを打っているんです。金田は偶然、この中継をそば屋のテレビで見ていたんですが、中継でアナウンサーが、“これなら金田も打てるはずです”と実況。これに発奮したんですよ」(当時を知る球界関係者)
後年、金田はこう語っている。
「実は、あの年はオープン戦で、さっぱり調子が上がらなかったんや。でも、シゲの登場で闘志に火がついたというかね。開幕したら、絶好調になった(笑)」
また、長嶋の印象に関しても親しい関係者に、こう明かしていたという。
「ボールになる球でも、ムキになって振ってきおった。その気迫とスイングの速さは見事。いつか、やられる日がくるかもしれんな……」