■初ヒットが2ランホームラン

 金田の予感は的中する。1年目のシーズンこそ、打率.179に抑え込んだものの、2年目は打率.333、3年目には打率.394で奪三振はなしと“お得意さま”扱いにされている。金田が昭和39年(1964年)に巨人に移籍するまで、長嶋との通算対戦成績は、打率.313、被本塁打18本、三振は31個しか取れなかった。チームメイトになってからも、金田が長嶋を“終生のライバル”としたのは、当然かもしれない。両者は現役引退後もよく食事をしたが、金田いわく。

「シゲのほうが金を持っているはずなのに、いつも、あいつは“ごちそうさまでした”と頭を下げるんだ。勘定は、いつもワシ持ちやった(笑)」

 長嶋の話をするときは、いつも金田はうれしそうだったという。

「巨人に移籍した金田さんですが、中日のほうが条件はよかった。それでも、“ワシは長嶋と王と野球がしたいんや”と言って、巨人を選んだんです」(ベテラン記者)

 デビュー戦こそ4三振というほろ苦いものだったが、シーズンが終わってみれば、長嶋は打率.305、29本塁打、92打点で、ホームランと打点の二冠王に輝いた。ただし、ルーキーイヤーということもあり、人知れず苦しんでいたという。

「覚えているのは、公式戦に入ってから5月末までに、5本もバットを折っていたこと。立教大時代は、試合でバットを折ったことはなかった。いかにゴールデンルーキーとはいえ、やはりプロの投手の球は違ったんでしょうね」(前出の球界関係者)

 また、“長嶋らしい”天然ボケぶりも発揮している。9月19日の広島戦(後楽園球場)。長嶋は第3打席で鵜狩道夫のストレートを左中間スタンドに叩き込むが、ダイヤモンドを一周すると、長嶋がファーストベースを踏んでいないと、広島から物言いがつく。結局、判定はアウト。長嶋は本塁打を1本損してしまった。

「当たりがよかったので三塁打になると思い、球の行方を見ながら全力で走った。ベースは踏んだと思うんだけどね……」とは長嶋の弁。集中すると周りが見えなくなる“らしいプレー”だった。二冠王を射止めた長嶋の活躍もあり、2位に5.5ゲーム差をつけてリーグ優勝を飾った巨人だったが、日本シリーズでは西鉄に3連勝のあと4連敗している。シーズンオフには“常勝巨人”を引っ張った川上哲治が引退を表明。巨人は、長嶋を中心とした新たな時代に突入していった――。

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