■王のデビュー戦の相手も金田

 長嶋に遅れること1年。王貞治が巨人に入団してきた。高卒ルーキー1年目ながら、オープン戦では持ち前の打撃でアピールし、開幕スタメンを勝ち取る。ポジションはファーストで、打順は7番だった。実は、王のデビュー戦の相手も金田だった。1打席目は空振り三振、2打席目は四球を選んだが、3打席目も空振り三振と、11球の対決で1球もバットに当てられなかった。だが、デビュー戦を終えた王のコメントは、高卒ルーキーらしからぬ落ち着いたものだった。

「相手は金田さんですからね。こちらはアガっていましたし……。ストレートの速さは予想していたので、面食らうことはありませんでしたが、カーブには驚かされました。カーブを待っていると、真っすぐがズドーンと来る……気がつくと三振ですよ」

 長嶋と同様、王も金田の剛速球の洗礼を受けてプロのキャリアをスタートさせた。だが、長嶋は徐々に調子を上げていって二冠王のタイトルを取るが、王は違った。のちに“世界の王”となる高卒ルーキーには、長い苦難の道が待ち受けていたのだ。

 国鉄との第3戦でライトに犠牲フライを放ち、プロ初打点をあげた王だが、バットは空を切り続けた。開幕から12試合、26打席のうち、出塁したのは四球の3度だけ。三振は9個。後楽園の一塁スタンドの内野席からは「王、王、三振王!」のヤジが飛んだ。それでも監督の水原茂は、王を使い続けた。

 初ホームランは4月26日の国鉄戦、第3打席だった。村田元一の内角低めのカーブを振り抜くと、打球はライトスタンドへ。27打席目に放った初ヒットが2ランホームラン――。王も、やはり“持っている選手”だった。翌日の報知新聞には水原監督の談話として、「王には代打を送ろうかと思っていたが、二死一塁とチャンスではなかったので、そのまま打たせた」とある。

 ホームランを放った王だったが、徐々にスタメンでの出場は減っていった。それでも水原は、王を二軍に落とすことはしなかった。後年、王が700本塁打の記録を達成した折、父親の仕福さんはスポーツ紙に、こうコメントを出している。

「今日の貞治があるのは、水原先生のおかげです。打てなくても辛抱強く使ってくれたことが、どんなにうれしかったか……」

 仕福さんは終生、水原を“先生”と呼び続けた。初の“アベック弾”は天覧試合水原は王がベンチを温めているときにも、熱血指導した。王のベンチでの定位置は、水原の前の席。

「いいか、王。金田はストレートを投げるときのほうが、始動がゆっくりだろ」など、マンツーマンで強打者になるためのイロハを教え込んだのだが、これは長嶋のときには見られなかったことだ。水原は後年、「長嶋は放っておいても打つのは分かったから」と語っている。

 王の述懐によれば、「水原さんは、よく我慢してくれましたね。私が監督なら使ってませんよ(笑)。初ホームランも、よく入ったよね。あの当時は、今と違ってホームランを打つのは本当に難しかった」

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