■世界新記録、歓喜の瞬間

 一方、ミスターの引退劇から3年後、77年9月3日の後楽園を超満員にしたのが、盟友・王貞治だ。かのハンク・アーロンを抜き去る世界新記録、通算756号の歓喜の瞬間は、ヤクルト戦の第2打席で訪れた。

「ご両親が一塁守備がよく見える三塁側で見守る中、甘く入った鈴木康二朗のシンカーを弾丸ライナーで右翼中段に放り込んだ。球場では、彼のホームインと同時にくす玉が割られて花火が上がり、試合後には同僚の堀内恒夫が運転するブルペンカーで場内を一周。かのベーブ ・ルースを抜いた前年からの盛り上がりもあって、あの日の球場は完全に、お祭り騒ぎでしたよね」(球団OB)

 そんな大偉業を三塁コーチャーズボックスから見届けたのが、当時コーチを務めていた前出の黒江氏だ。ダイヤモンドを回ってきた王とは、「ハイタッチではなく、がっちり握手をした記憶がある」と振り返る。

「記録やタイトルがかかった試合では大抵そうだったけど、ベンチでは“次こそ決めてくれよ”と盛り上がっていたよ。ただ、王ちゃんはいつも冷静なやつだから、打った瞬間は周りのほうが大喜び。私も一度、コーチャーの立場を忘れて、万歳しながらホームまで一緒についていってしまったことがあるからね(笑)。あの日の試合後は、後楽園だったこともあって、チームでは特に何もしなかったんじゃないかな。これが遠征先だったら、宿舎で、ちょっとした宴会にはなったかもしれないけどね」

 “巨人史上最高の助っ人”との呼び声も高いクロマティも忘れ難い。86年10月3日のヤクルト戦で、尾花高夫から放った決勝のグランドスラムは劇的だった。

「クロマティは、前日の試合で頭部に死球を受けたばかりで、近くの慶応病院に入院中だった。そんな彼が病院を抜け出してベンチ入りしたうえ、代打で出てきて満塁弾ですから、もはや漫画の世界です。王さんがわざわざ出迎えに来て、抱き合っていた姿も印象的でした」(前同)

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