■“お祭り男”が真価を発揮

 続く90年代では、94年の日本シリーズで、“愛憎の盟友”巨人・桑田真澄から、西武・清原和博が放った2打席連続弾が出色だ。

「清原自身、桑田とは3度目の直接対決となったシリーズですが、監督となったミスターとの初顔合わせでもありました。“4勝2敗でウチが勝つ。もう決まっている”といった長嶋節の予言も次々に的中し、4連敗の90年からは一転、終始、巨人が主導権を握りました」(在京スポーツ紙デスク)

 そんな憧れの存在を前に、一人気を吐いたのが、他ならぬ清原だった。森祇晶監督の退任がシリーズ中に報じられるなどチームに不協和音が響く中、球界屈指の“お祭り男”は4本塁打と、その真価を発揮する。

「第1戦では対桑田としては自身初となる先制弾。大量リードを奪われた第5戦でも、バックスクリーンへ意地の2打席連続弾と、常勝軍団の4番らしい貫禄を見せました。ただ、やはり大きかったのはミスターの存在でしょう。当の清原による“巨人に負けたというより、長嶋さんに負けた感じ”なるコメントが、それを象徴していましたね」(前同)

 そして、清原とは何かと比較されることも多かった松井秀喜も欠かせない。とりわけ鮮烈だったのが、日本球界ラストイヤーとなった02年。日本人では、かの落合以来16年ぶりに、大台に乗せた50号アーチだ。

「この年の中継では、放送席の角盈男氏らも“松井が50本打ったらメジャーに行ってしまう”と真顔で解説していたほど、“50本”は一つの鍵となっていた。40本を超えた頃からは、それがより現実味を増して、メディアを賑わせることになりました」(元担当記者)

 そんな松井の“進路”を決定づけた一戦が、10月10日の対ヤクルト最終戦。3回表に、相手先発・藤井秀悟から49号ソロを放つと、同点で迎えた8回裏のチャンスで、打順は再び松井に回ってきた。

「対する五十嵐亮太は当時、売り出し中の豪腕。松井に全球ストレート勝負を挑んだ彼の強心臓ぶりにもシビれましたね。実はあの打席、松井は球威に押されて何度もファウルを打っている。フライになった4球目を捕手の米野智人が見失わなければ、歴史は変わっていたかもしれません(笑)」(前同)

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