張本、金田、長嶋、落合…プロ野球「今なら全部スキャンダル」全暴露の画像
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 ユニフォームを脱ぎ、流行の服に袖を通す。コロンをひと吹き、準備万端。さあ、行こう。街が俺を呼んでいる!

「ひと昔前は、夜遊びをするのが、ある種、僕らのステータスでした。球場の外でも、よその選手と馴れ合うことはなかったし、虚勢を張るのも仕事のうち。だから、それなりの選手になればなるほど、遊び方もスマートになったもんですよ」

 現役時代、甘いマスクで夜の街でも絶大な人気を誇った、野球解説者の江本孟紀氏がこう語るように、“飲む・打つ・買う”にまつわる痛快な話はプロ野球選手の十八番。特に昭和の球界には、世間の常識をモノともしない豪傑がそろっていた。

 そこで今回、「遊び方もケタ外れ」だった、往年スターたちの“夜の武勇伝”を関係者に徹底取材。アスリート化が著しい現代野球では、もはや考えられない、グラウンドの猛者たちが残した珠玉のエピソードを味わってもらいたい。

 トップを飾るのは、やはり我らがミスター、長嶋茂雄。行きつけだった赤坂の高級ナイトクラブ『ニューラテンクォーター』は、各界の著名人にも愛された、昭和を代表する名店だ。

「ミスターはああ見えて、ほとんど酒が飲めない。でも酒席は大好きで、交友関係も広かった。とりわけ1歳上の石原裕次郎さんとは“裕ちゃん”“シゲ”と呼び合い、つきあいも家族ぐるみ。首都圏での試合のときは、“昨日も裕ちゃんとラテンに行った”と、よく話していましたね。また、ミスターは、かの高倉健さんとも下の名前で呼び合う仲で、銀座で友情を深めました。健さんは一茂の結婚式にも出席しているほどです」(当時を知るスポーツ紙OB)

 ミスターが東京の夜の街で華やかな交流を続けていた頃、福岡の歓楽街で暴れていたのが、西鉄ライオンズの通称「野武士軍団」だ。中西太、豊田泰光とツワモノぞろいだったが、中でも選手時代の仰木彬は、名匠・三原脩監督も手を焼く色男として名を馳せた。

「武骨な面々が多かった野武士軍団の中で、仰木さんはオシャレなヤサ男で、本当にモテた。夜の女性相手に毎夜、連戦連勝。その遊び人ぶりには、放任主義の三原さんも“ちゃんとやれば3割は打てるのに、アイツは違うバットばかり振っている”と嘆息していた。仰木さんは現役時代、一度も3割を超えられなかったんですが、夜のバットは3割どころか、ずっと首位打者でした(笑)」(在阪スポーツ紙元デスク)

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