■眠らず遊び続ける夜の達人

 その仰木が70年からコーチを務めていた近鉄で、大阪にその名をとどろかせたのが、近鉄の“和製ヘラクレス”こと栗橋茂だ。眠らず遊び続ける夜の達人は、近鉄随一のモテ男で、熱狂的なファンが自宅や宿舎にまで押しかけるほどだったという。

「実際、現役当時は男気あふれる、いい選手でしたしね」(前同)

 栗橋が活躍した70〜80年代のパ・リーグは、昭和のプロ野球を体現する“伝説”の宝庫。ロッテOBの愛甲猛氏も往時を、こう振り返る。

「プロで初めて“この人はすげぇ”と思ったのは、やっぱり張本勲さん。若い頃に一度、選手の乗ったバスが、その筋のヤツらの乗った車に道を塞がれたことがあってね。何事かで怒り心頭の様子だったんだけど、張本さんが一人降りていくや、すぐに解決。戻ってきた張本さんは、涼しい顔だったね。試合中に相手がベンチまで怒鳴り込みに来ても、そこに腕組みの張本さんがいたら、何も言わずに帰って行ったよ」

 他方、ヤンチャに独自の哲学を持っていたのが、愛甲氏の師でもある落合博満だ。ちなみに、秋田育ちの落合は、球界屈指の酒豪としても知られた人物。前出の愛甲氏も、そのうわばみぶりには舌を巻いたという。

「ホテルのラウンジで早朝4時までひたすら飲んで、その日の午後のオープン戦でホームラン。確認するかのように“よし、今年も4時まではいけるな”と言っていたのは、俺も聞いたことがある。あとは一緒にフグを食べに行って、ひれ酒で店の酒を飲み尽くしたことも。どれだけ飲んでも、酔い潰れるなんてことは一度たりともなかったよ」(愛甲氏)

 その落合が中日に去った後のロッテでは、こんなこともあった。

「平和台での西鉄戦に連敗した日の夜に、怒った監督の有藤通世さんから“今日は全員、宿に戻ってくるな!”って、お達しが出てさ。翌日は移動日なしで川崎(球場)だったのに、選手は強制的に夜遊びだよ。次の試合?  もちろん負けたよ。その後の監督を務めた金田正一さんのせいで、あまり目立たないけど、有藤さんも相当、ムチャクチャだったよね」(前同)

 愛甲氏が語ったように、一昨年にこの世を去った偉大なる400勝投手の“カネヤン伝説”は、往年のファンにはもはや説明不要だろう。

「尾ひれもついていますが、だいたい本当です(笑)。我々記者も、一緒に麻雀をやって、一晩でウン十万円巻き上げられる一方、中洲に連れて行ってもらったこともありました。金田さんは激情家のため、言葉はキツいし、手も出るし、惚れやすい(笑)。ただね、一方ですごく繊細。現役時代、練習でわざとキャッチャーにサインと違うボールを投げて、それを平然と捕られると、途端に機嫌が悪くなる。要は、キャッチャーがこぼすと、球がキレていると安心できた。激しくて繊細、というのが魅力でした」(前出のOB)

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