■セとパで違った“遊びの文化”

 昭和のプロ野球は「人気のセ、実力のパ」と呼ばれ、世間の注目度に大きな差があった時代。その違いが、夜遊びにおいても出ていたという。東映、南海、阪神と、両リーグで活躍した前出の江本氏は、こう語る。

「僕がいた頃は、人気の格差も如実にあったから、阪神を含めたセ・リーグの選手は、顔を指される地元よりも遠征先で遊ぶことが多かった。それに対し、在阪パの3球団なんかは遊びも、もっぱらキタやミナミ。街ぐるみで応援してもらってるっていう実感は、パのときのほうがあったかな」

 後年、中日でプレーした愛甲氏も、そんな“文化”の違いに面食らった一人。とかく感じたのが、やはり巨人のスゴさだという。

「落合さんが巨人に移籍した頃、大阪でホテルが一緒だったことがあった。せっかくだから、連絡しようと内線で部屋番号を押したら、巨人のフロアだけ交換を通さないとつながらない仕組みになっててさ。エレベーター前にも衝立があって、そばに警備員が立ってたよ。練習中、空き巣に根こそぎ、部屋を荒らされたこともあった昔のロッテを知る者としては、ちょっと別世界だったよね」

 球界の盟主として「紳士たれ」がモットーの球団だけに、巨人は他のチームより選手の管理が厳しい。

「“悪太郎”で名を馳せた堀内恒夫さんのように、門限破りや夜遊びなど、要領のいい選手は、うまく羽を伸ばしていましたけどね。ただ、堀内さんは遊びが過ぎて一度、王(貞治)さんに“目にあまる!”と名古屋の宿舎で平手打ちされたことがあったそうだけど(笑)。でも、今は世間がうるさいから、選手たちもかわいそう。“女性と遊ぶときは外ではなく、きちんとホテルに部屋を取って呼ぶように”との通達が出ているそうです。昨今の選手たちに、かつてほど武勇伝がないのは、そういう側面もありますよ」(元巨人担当記者)

 さて、同じ「打つ」ためなのか、今も昔もプロ野球には賭け事に熱心な選手が多い。麻雀、競馬、パチンコなど、ギャンブルの類には、すべて精通する猛者もいるほど。特に牧歌的な昭和の時代は、“さまざまな賭け事”が行われていたという。

「俺らの頃は、何かと言ったら、すぐに賭け。昔はオフによくあった“12球団対抗”的な番組だと、一律で現金10万とかのギャラが、その場で出るんだけど、その金も賭ける(笑)。『新春マラソンリレー』に“監督”として出たときは、走る若手を馬に見立てて、“馬連”で、みんな賭けたよ。球団対抗のゴルフ番組のときも、そこかしこで札が飛び交っていた。見かねたアナウンサーが“お金のやりとりはカメラが回るまでに、お願いします”って、マイクで言ってたぐらいだから(笑)」(愛甲氏)

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