ブレイクの裏に桑田佳祐が!「三宅裕司×渡辺正行」初夏のドリーム対談〔前半戦〕の画像
三宅裕司(左)と渡辺正行

 本誌で好評連載中の『コント赤信号 渡辺正行 スター芸人たちの“笑いと涙”』。今回は、三宅裕司さんを対談相手に迎えた特別編をお届けする。三宅さんとリーダーは、明治大学落語研究会の先輩と後輩であり、人気劇団『熱海五郎一座』の座長と座員の関係。2人の出会い、立川志の輔師匠との交流、芸能界での活躍などについて、大いに語ってもらった!

渡辺 初めて会ったのは1974年、僕が(大学)1年生のときの夏合宿でしたよね。

三宅 俺は、その年の春に卒業してて、OBとして初めて参加したんだ。

渡辺 僕ら1年生にとって、三宅さんは“伝説の人”だったから、ドキドキしましたよ(笑)。

三宅 あっ、そうなの?

渡辺 落研には、誰もが大喜利のお手本にするカセットテープがあって、僕たちは何度も聴いて練習してたんですけど、その声は、すべて三宅さん。ホントにうまくて面白いし、お客さんも爆笑してるんですよ。

三宅 あったねえ。

渡辺 たとえば、デートに遅れたときの言い訳とか、そんなお題があって。

三宅 ああ、「ドライヤーだと思ったら、火炎放射器だったんだよ」とか答えたりしてね(笑)。

渡辺 そうそう(笑)。そんな“伝説の人”が、夜中まで笑わせてくれるのがうれしかった。

――三宅さんとリーダーは、明大落研で受け継がれている高座名「紫紺亭志い朝」の4代目と6代目。そして、その間の5代目が立川志の輔師匠である。

渡辺 僕は落研に入るまで、落語のことをまったく知らなかったんですけど、2学年上の志の輔さんの落語を観て、「俺も、こんなふうに人を笑わせたい!」って感動したんですよ。

三宅 志の輔も、そうなんでしょ? たまたま落研に入って、「こういう世界があったんだ」っていう。

渡辺 だって、志の輔さんは三宅さんに憧れてましたからね。

三宅 じゃあ、俺が作ったようなもんなんだ、今の志の輔を(笑)。

渡辺 ワハハハ。そんな3人で、77年から4年くらい、落語を披露する「志い朝の会」を開きましたよね。

三宅 毎年1月15日、上野の講談専門の寄席『本牧亭』でやってたんだよ。

渡辺 1回目は、僕がまだ大学3年生で、三宅さんと志の輔さんは、役者を目指してアルバイト生活。みんな素人だったけど、憧れの先輩たちと一緒に、いろいろなことを考えるのがホントに楽しかったです。

三宅 テレビ番組のタイトルに絡めた大喜利とかも、やったよね。「おまえ、なんだよ。お尻の穴にお味噌なんかつけて……味噌肛門」って。あまりにもくだらないから覚えてるよ(笑)。

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