■長嶋茂雄「打者としても一流」
その後の大活躍で、ドラフトでは3球団競合の末、西武に入団。
「松坂は意中の球団は横浜と公言していた。彼が西武入りを決意したのは、当時の東尾修監督から、投手時代に200勝した記念ボールを渡されたことなんです。東尾氏は“オレにとって大切なボール”“代わりに200勝した際にはボールをよこせ”と松坂に託したんです」(前出のデスク)
超高校級の才能を発揮していた松坂には、ミスターこと長嶋茂雄巨人軍終身名誉監督もぞっこんだった。スポーツジャーナリストの江尻良文氏がいう。
「第2次政権のミスターは、松坂のドラ1指名を熱望していたそうです。しかし、すでに巨人は上原浩治の指名を決めていた。実現しなかったとはいえ、ミスターは松坂の才能を買っていたようですね」
プロ入り後もミスターは“松坂ファン”を公言。
「監督辞任後も、西武のキャンプへ行くというのでついていったら、やっぱり目当ては松坂。彼が投げると長嶋さんはかぶりつきで見ていましたよ」(前同)
松坂の才能を、ミスターはこう評したという。
「もちろん、投手としても20勝する実力はあるが、打者としても一流。バネがあるし、彼にショートを守らせて、3~4番を打たせたら面白いと思うんだ」
巨人入りしていたら、大谷の前に二刀流・松坂が誕生していたかもしれない。