■真骨頂だった日ハム日本一

 160キロを連発し始めた14年には、NPB史上初の「同一シーズンでの2ケタ勝利&2ケタ本塁打」を、早くも達成してみせた。

「日本でベーブ・ルースの名前が引き合いに出されるようになったのも、ちょうど、この頃。投手に比重を置いた翌15年には、当然のように最多勝、最優秀防御率、最高勝率の投手三冠にも輝いた。あらゆる面で、我々の想像を超える選手になっていきました」(前同)

 その真骨頂と言えるのが、チームを日本一へと導いた4年目の16年だろう。日本ハムOBの岩本勉氏も、衝撃をこう振り返る。

「彼が初めて公式戦の1番に座った7月3日のソフトバンク戦。相手先発・中田賢一の初球をいきなりスタンドまで持っていったあの光景は、いまだに忘れられません。先発投手が自分で先制点を挙げて、2ケタ奪三振で勝ち投手。そういうことがやれる星の下に生まれてきたとしか言えません」

 実は、この劇的すぎる本塁打は、試合前から大谷自身が“予告”したもの。公私ともに仲のよかった同僚投手の鍵谷陽平(現巨人)は「翔平は“僕、ホームラン狙いますね”と言っていた」と証言している。

「狙ってそれを確実に仕留めたわけですから、もはや漫画ですよ。この年は『10勝、100安打、20本塁打』でMVPも獲得して、名実ともに日本球界で最高の選手となった。オフに行われたプロインタビュアーの吉田豪氏の取材では、“トレーニングの専門書を読む時間も息抜きになる”と答え、野球以外の雑談を引き出したい同氏を閉口させていましたね(笑)」(スポーツライター)

 とはいえ、野球に対するストイックさばかりが際立っていた大谷も、素顔は意外と茶目っ気たっぷり。前出の鍵谷や、海を渡った有原航平(現レンジャーズ)ら同僚に対する“先輩イジリ”も、ベンチ裏では日常茶飯事だったという。

「鍵谷や有原とは、よく食事にも行く間柄。今年4年ぶりのキャッチボールを実現させた先輩・有原は日ハム時代に、“最後に決まって胸にボールを当ててくる”とこぼしていたことも。彼らといるときには、冗談めかして“試合に出るのが週に1回とか楽しいですか?”なんて軽口も出ていたそうです」(前同)

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