■客が2人しかいなかったインディーズ時代や、1年で解散危機があったメジャー初期

「まず、00年に小学生の頃にアクターズスクール広島のスクール内ユニットとして『ぱふゅ~む』が結成。01年に河島佑香が脱退し、大本彩乃のっち/33)が加入し、現在のメンバーになりました。

 そして2002年にインディーズデビュー。当時は広島のご当地アイドルのような存在でした」

 真冬に広島の街頭ビジョンの前でインストアイベントのビラを配り続けた挙句、2人しかお客さんが来なかったこともあった。それだけに15年に行われたメジャーデビュー10周年イベントで西脇綾香(あ~ちゃん/32)は、

「なんて無力なんだろうと思って、すごく悲しかった。だからね、ビラも配ってないのに、こんなにたくさんの人に求めて、期待していただけて本当に幸せです」

 と涙ながらに話していた。

「03年に上京し、名義も現在の『Perfume』になりましたが、そこからも秋葉原での路上ライブや小さなイベント出演などをこなしていった結果“アキバ系”という微妙に間違えた解釈でテレビに紹介されてしまったり、カルト人気止まりだったりと、不遇な時代を過ごしました。現在の“地下アイドル”のようなものかもしれません。

 メジャーデビューは05年の『リニアモーターガール』でしたが、オリコンチャート最高順位が週間99位と、そこまでいい数字ではなかったことでも知られています」

 また、まだデビューして1年しか経っていないのに06年には『Perfume~Complete Best~』として「ベストアルバム」が出される始末。のちにPerfumeと苦楽を共にした名物マネジャー“もっさん”こと山本史郎氏は、『Perfume LIVE DATA BOOK』(アスマート)にて、

「当時、ベスト盤が出ると事実上の契約終了になる前例をいろいろ見ていたので、実は、メンバーも僕も、『終わりが近づいているんじゃないか』と思ってました」

 と赤裸々に語っている。

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