■復興支援で見えた「人間性」
そんなサンドウィッチマンの転機となったのが、11年3月11日に発生した東日本大震災だ。宮城県気仙沼港でロケをしていた2人は、番組スタッフの指示で安波山に避難。津波で町が押し流され、オイルタンクが引火し、火の海となった街を眼下に見下ろすことに。
すぐに、彼らは復興支援活動を開始。開設した「東北魂義援金」は、現在までに約5億円が集まった。
「伊達は“あの光景を芸能界で目の前にしたのは僕らぐらいしかいない。そんな僕らが震災の話をしなくなったら、どんどん忘れられていく”と、支援を続けている理由を語っています。また、富澤は“被災地支援はずっと続けるけど、芸風は変えない”と誓い、感動を誘うような場面でも、あえてボケを入れています」(スポーツ紙記者)
メディアが震災報道をしなくなっても、サンドウィッチマンは復興支援を訴え続けてきた。芸人の先輩でもある東京ダイナマイトのハチミツ二郎氏はこう言う。
「地元出身者だし、震災復興に協力するのは自然なように思えるけど、彼らの優しい性根がそうさせるんだと、身近で見ていると分かりますね」
その情に厚い、まっすぐな気持ちは、周囲だけではなく、多くの人を動かし、国民的スターとなった。今、伊達と富澤は“あの頃”の夢の数々をかなえている。
「上京直後“極道映画に出演させる”“『オールナイトニッポン』をやらせる”など、富澤が伊達に“7つの約束”を誓ったそうです。13 年に、それがすべて実現すると、新たに“サンドウィッチマンを解散しない”という約束を交わしました」(前出の芸能記者)
今も昔と変わらない伊達と富澤の仲の良さも、サンドウィッチマンが愛される理由の一つだ。『アメトーーク』(テレビ朝日系)では、司会の蛍原徹が東京ディズニーランドで、伊達と富澤に遭遇したことを明かしている。
「伊達が連れていたのが富澤の子どもで、富澤が連れていたのが伊達の子どもだったそうです。20年の正月休みは、伊達一家と富澤一家が偶然、同じ飛行機に乗っていたため、そのまま家族同士でグアムを楽しんだようです」(前同)
また、『今夜くらべてみました』(日本テレビ系)でも、コンビ愛を感じさせる逸話が紹介された。
「伊達は地方に行った際、おいしい名産品を探しに行くと“富澤にも食わしてやりたいな”と言って持ち帰るそうです。また、富澤は“伊達は持ってきていないだろうな”と思って、常に携帯電話の充電器を複数持ち歩いているとか」(同)
数あるレギュラー番組の中に、07年に彼らが地元のコミュニティFMであるfmいずみに企画を持ち込んで始まった番組『サンドウィッチマンのラジオやらせろ!(仮)』がある。
多忙な中でも、この小さな局との関係を深める義理堅い人柄こそ、サンドウィッチマンが愛される最大の理由なのかもしれない。