■チェッカーズ解散に関係する、鶴久にも言及

 そして番組は、藤井フミヤの行きつけ店を紹介するコーナーへ。そこで、チェッカーズの初期の思い出が語られた際に、ふたつめの”まさか”の発言が飛び出した。

「1984年、チェッカーズのセカンドシングル“涙のリクエスト”が大ヒット。大人気の音楽番組『ザ・ベストテン』(TBS系)へ出演を果たした際の思い出を、フミヤさんが語りました。フミヤさんいわく、“ザ・ベストテンやん!”と、お上りさんのような感じで収録に参加したチェッカーズのメンバーは、セット裏に待機しているアイドル達に驚き、ソワソワとしていたとのこと。

 その中で、“マサハル(鶴久政治)が、松田聖子ちゃんの服を触って!”、”めっちゃ喜んでたな…“と、鶴久政治さん(つるく・まさはる=58)のエピソードを、フミヤさんが楽しそうに披露したんです」(前出の業界関係者)

 実は、鶴久は、92年のチェッカーズ解散に反対していたメンバーとして有名だ。

「2004年12月号の『サイゾー』(サイゾー)に掲載された記事によると、“91年10月くらいだったかな、メンバーのひとりが『やめたい』と事務所に言いにいって、7人で話し合いをする機会があったんだけど…”、“(中略)その後、残りの6人が3対3に分かれて、『解散する』『いや、しない』という議論が続いたけど、結局事務所の人が間に入って『ひとりが抜けても、続けていけるのか?』と。それで、解散を認めざるをえなくなったんです”と、鶴久さんは、最終的に多数決によりチェッカーズが解散してしまったことへの不満を口にしています。

 解散のきっかけがフミヤさんだった、という話もあるので、不仲説も囁かれている。なので、今回の『人生最高レストラン』で、フミヤさんから鶴久さんの名前が聞けたのは、なにかしらの雪解けを感じますね」(前同)

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