昭和の銀幕スターにして、不世出の音楽家が「歌えるうちにやめたい」とマイクを置く。偉大な足跡を回顧!
6月19日、歌手・加山雄三(85)が、年内をもってコンサート活動から引退することを発表した。
「“人間、いつかは終わる。まだ歌えるうちにやめたい”と決断したようです。12月の豪華客船・飛鳥2での船上ライブが、最後になります」(音楽関係者)
そこで今週は若大将の幾多の伝説を振り返りたい。
加山は、1960年春に東宝に入社し、『男対男』で映画デビューすると、61年には『夜の太陽』で歌手デビューし、大ヒットを連発。一気にスターになった。『若大将』シリーズのDVDでライナーノーツを執筆するなど、加山雄三に詳しい音楽評論家の鈴木啓之氏は、こう語る。
「作曲家・弾厚作として作曲を手がけた『君といつまでも』が350万枚という大ヒット。プレスリーが世界を席巻すればすぐにカバーし、ベンチャーズによるエレキ時代より前に、高価なギターやアンプを海外から取り寄せて研究し、自分のものにしてしまう。そういう先進性がありました」
数多くの楽曲が、この先進性を証明している。
「62年に映画『日本一の若大将』の宣伝用としてリリースされた『グリーン・フイールズ』などの楽曲が、加山一人による多重録音で制作されているんです」(音楽ライター)
70年代に大瀧詠一がナイアガラ・レーべルでやっていたような最先端の音楽を、その10年以上も前に創造していたというのだ。
「66年に『エキサイティング・オブ・加山雄三』を発表しましたが、大瀧詠一も、山下達郎も、竹内まりやも、ユーミンも、このアルバムを聞いて憧れた。加山さんは日本のシンガーソングライターの草分けだったんです」(前出の鈴木氏)
クラシックやロックなど、海外の音楽を、日本独自の音楽として昇華させるかというのは、日本のポップス界の課題だった。加山の実験精神が後進に与えた影響は、大きいのだ。
加山がギターを一人で弾いた多重録音の作品『ブラック・サンド・ビーチ』(65年)は、後にベンチャーズがカバー。その才能は世界水準にあった。それは、俳優としても同じだった。