■落語協会分裂騒動が勃発

「知名度の高さは落語界随一でも、けっして落語家として表通りを歩んできたわけではないんです」(前同)

『笑点』に加入した翌年、落語家人生を左右する事件が勃発する。

「落語協会分裂騒動(最終ページ参照)です。円楽さんは新団体・落語三遊協会に移籍しました」(同)

 しかも、この新団体に大きな悲劇が襲う。

「旗揚げわずか1年で、大看板の円生さんが急死されたんです」(同)

 これで三遊協会は解散の憂き目に遭う。

「解散後は落語協会に復帰する落語家も多い中、五代目の円楽さんは、大日本落語すみれ会(現・五代目円楽一門会/以下、円楽一門会)を設立し、独立独歩の活動を継続。当然のように円楽さんも、そこに追随しました」(同)

 業界のパワーバランスもあり、東京の4つの定席寄席は、円楽一門会に門戸を閉ざした。1981年に真打に昇進した円楽だが、長い間、歴史のある定席には出られなかったのだ。

「五代目円楽さんが私財を投げ売って『若竹』という自前の寄席を建てたこともあったが、長く続かなかった。今は、『お江戸両国亭』という会場をホームにしていますが、円楽さんは寄席以外のホールや演芸場で場数を踏んでいったんです」(前出のライター)

■不倫釈明会見で

 結果的に、それが円楽の特性を育むことになった。

「落語家としての円楽さんは、いわば雑草タイプ。どんな環境にも対応できる柔軟性、多面性が魅力」(前同)

 その素養は、思わぬところでも発揮された。16年の不倫釈明会見である。

「素直に認めて謝罪し、会見の最後に謎掛けを披露。“今回の騒動とかけまして、天保銭(江戸時代の小銭)と解く。今は通用しません”。フライデーの記者に手を振ったりと、取材陣も大ウケでした」(前同)

 落語以外のことに挑戦するバイタリティも魅力だ。

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