■あの大名跡を継ぐのは誰か?
さて、高座復帰後の円楽は、どこを目指すのか?
「落語家が最も脂の乗り切る状態になるのは、60代といわれます。それを過ぎた円楽さんは“自分でも、これからどうなっていくのか、楽しみなんだ”と常々、言っています」(前同)
円楽は「この年になって、ようやく理解できるようになった師匠の言葉がある」と語っている。
「“落語を忘れるんじゃないよ”との教えです。五代目円楽さんは晩年になって“俺は一番大事な時期を借金だ、忙しいだで落語をやれなかった”と語っていたそうです。師匠のその葛藤に、思いをはせているのでは?」(演芸ライター)
前述した演芸場『若竹』が運営難に陥った当時、その借金返済のため全国で講演会などをしていた五代目円楽。高座から離れざるを得なかった師匠の背中を、円楽はずっと見ていたのだ。
さらに、もう一つ「大きなテーマ」があるという。
「落語界の負の遺産と言える落語協会分裂騒動の影響もあり、『円生』という大名跡を40年以上、誰も継いでいない。孫弟子の円楽さんが円生を継ぐのか? ということも気になります」(前出の文化部記者)
過去に何人かの落語家の円生襲名が話題になったが、実現しなかった。
「本人も『流されて円楽に流れ着くか圓生に』(竹書房)という書籍を出したほどで、半分シャレ、半分本気で大名跡襲名を狙っているフシもある。もちろん、師匠からもらった名前にも強い愛着があるはずです」(演芸関係者)
師匠と弟子、2人をよく知る毒蝮氏は、こう語る。
「先代は浅草、当代は両国の出身だから、どちらも江戸っ子で、似た者同士。わざと大げさに、知ったかぶりして上から目線で話すところなんかもそっくりだ(笑)。
それでいて、2人とも几帳面で、ものごとをきちんとやるタイプ。だからこそ、先代は自分の名前を継がせたんじゃないかな」
落語を忘れず、師匠を慕い、弟子を思う。円楽の名前を、さらに大きくする六代目の高座を、これからも楽しみたい。
■落語協会分裂騒動とは何か
1978年、東京落語界最大の団体「落語協会」会長の柳家小さんと、前会長の三遊亭円生が考え方の違いから対立。円生は落語協会を離脱し、新団体設立を計画する。新団体「落語三遊協会」には円生一門以外に、古今亭志ん朝、橘家円蔵やその弟子らが名を連ねるが、加入が見込まれた立川談志らは不参加となった。
一方で、4軒ある東京の定席寄席は新団体を認めない旨を発表。これを受け、志ん朝、円蔵とその一門は落語協会に帰参。「落語三遊協会」は円生一門のみの小所帯に。五代目円楽の弟子の三遊亭楽太郎は、その中の一人だった。