■ビートルズの前座を務めて
ビートルズの日本公演で前座を務めたのはその翌年。前後して、テレビのバラエティ番組に出演するようになり、人気を集めていく。
「そんな頃、冬の寒い日に、いかりやさんの自宅前で、半日間、立ち尽くしている少年がいました。若き日の志村けんさん(享年70)です」(前同)
夜が更けて、雪の降る中、ようやく帰宅したいかりやに、志村は弟子入りを直談判。ちょうど欠員が出ていたため、ドリフの付き人になることが認められる。
■『8時だョ!全員集合』が放送開始
ドリフを国民的人気者にする生放送の公開番組『全員集合』の放送開始は69年10月。だが、番組プロデューサーだった居作昌果氏は、著書『8時だョ!全員集合伝説』(双葉文庫)で、こう記している。
〈グループを使ってバラエティをやるのなら、クレージーキャッツでやるべきだ、という意見も多かった〉
だが、フタを開けてみれば、視聴率はうなぎ上りに。その立役者は加藤だろう。
〈加藤の笑いに対する運動神経のよさは、抜きん出ている。天才的である〉(前掲書より)
子どもの人気者だった加トちゃん。特にバカ受けしたのは、あのギャグである。
「広島で関係者にストリップ劇場に連れて行かれたドリフは、他の客にバレないように最前列で見ていました。そのとき、舞台のお姉さんが口にしたんです。“ちょっとだけよ、あんたも好きねえ〜”。それが鉄板ギャグに」(前出の芸能記者)
■視聴率40%台の“お化け番組”に
PTAは顔をしかめたものの、子どもたちは諸手を挙げて支持したのだ。『全員集合』は、開始翌年に、視聴率40%台の“お化け番組”になる。
「最高視聴率は、キャンディーズがレギュラー入りした73年4月7日の放送回で、50.5%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)。これは、日本のバラエティ番組史上最高の数字です」(前同)
ところが、絶好調のドリフを揺るがす大事件が発生する。